飛騨山脈の誕生と糸魚川ヒスイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:58 UTC 版)
「糸魚川のヒスイ」の記事における「飛騨山脈の誕生と糸魚川ヒスイ」の解説
新生代の約2500万年前、東アジア直下で比較的小規模なマントルプルーム活動が始まった。その結果として大陸地殻内に断裂による地溝帯が生じ、日本海、バイカル湖などに成長していく。中新世後期の約2000万年前から1500万年前には日本海の拡大によって日本列島はアジア大陸から切り離され、現在の島弧の形となった。 ところで日本海の拡大時に、拡大軸と直交するトランスフォーム断層が発達し、島弧となった日本列島の中央部に深い断裂が形成された。この断裂が東北日本と西南日本の地質的境界線となるフォッサマグナとなっていく そして約300万年前以降、中部から東北日本にかけて圧縮する力が働くようになった。その結果、中部から東北日本は全体的に隆起するようになり、比較的海が多かった状態から陸化が進み、山脈が形成されていく。このような中で形成された山脈のひとつが飛騨山脈である。飛騨山脈の隆起は約270万年前から始まったと考えられている。飛騨帯や大陸側のプレートに押し出られるようにして地表の比較的近くまで運ばれていた糸魚川周辺の蛇紋岩メランジュ中のヒスイは、飛騨山脈の形成に伴って高所に位置するようになる。 ヒスイを含んだ蛇紋岩メランジュは古生代に形成されたものであるため石自体は硬いものの、長年にわたる様々な地質変動の影響を受けで脆くなっている。そのため高所に位置するようになった蛇紋岩メランジュはしばしば崩壊や土石流を引き起こすようになった。ヒスイは比較的密度が高いため、崩壊や土石流によっても他の密度が比較的低い岩石よりも流されにくく、山中に残りやすい。しかし大規模な土石流が発生した場合などはやはり山中から流出する。飛騨山脈の隆起のスピードは早く、山脈は急速に高度を増していき、その結果として大規模な土石流や崩壊がしばしば発生するようになった。山中から流出したヒスイは途中河川で削られながら海岸までもたらされる。その結果、糸魚川周辺では河川や海岸にヒスイの原石が存在するようになった。
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