音韻研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 08:36 UTC 版)
29歳のとき12歳年上の考証家戴震の知遇を得て、その門下に入った。戴震は地理・数学・音韻に長じていたが、段玉裁は特に音韻学においてその薫陶を受け、自らは『詩経』に見える押韻に着目した。『詩経』の押韻は、後世、中国語の変化とともに不分明になり、後世の音韻と不整合を生ずるものとなっていたが、古く宋代の朱熹らはこれを叶韻によって処理していた。叶韻とは、『詩経』『楚辞』などの古い韻文文学で、韻字が後世の音韻に合わないとき、発音それ自体を改変して後世の韻に合わせてしまうことをいう。しかし、このような牽強な解釈に後の学者たちは疑念を抱き、古い時代には後の世とは異なる韻が存在していたはずであると、明末の陳第が『毛詩古音考』を、また清初の顧炎武が「顧氏十部表」(音学五書の五『古音表』のこと)を発表して、古代音韻の世界にも漸く新たな地平が開拓されていった。段玉裁はこれら先学の遺業を受け継ぎ、彼独自の方法論で『詩経』当時の音価を推定して17の韻目に整理していった。そしてその成果が41歳のとき、『六書音均表』として完成されたのである。
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