音素文字の拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:09 UTC 版)
現存するフェニキア文字の初期の碑文はフェニキア語を表記しているが、後にはアラム語、ヘブライ語、およびモアブ語(メシャ碑文に代表される)などの言語を表すためにも使われた。アラム語やヘブライ語はフェニキア語よりも多くの子音を持っていたため、1つの文字で複数の子音を表記した。 フェニキア人による音素文字の採用は非常な成功を収め、さまざまな変種が地中海で前9世紀頃から採用された。さらには、ギリシア文字、古代イタリア文字、アナトリア半島の諸文字(リュディア文字、リュキア文字、カリア文字など)、イベリア文字へ発展していった。その成功の理由の一つは、音声的特徴にあった。フェニキア文字は一つの記号で一つの音を表す文字体系としては、初めて広く使われたものである。当時使われていた楔形文字やエジプト神聖文字等の他の文字体系では多くの複雑な文字が必要で、学習が困難であったのに比べて、この体系は単純だった。この一対一方式のおかげで、フェニキア文字は数多くの言語で採用されることになった。 フェニキア文字が成功したもう一つの理由は、音素文字の使用を北アフリカと欧州に広めた、フェニキア商人の海商文化であった。実際、フェニキア文字の碑文ははるかアイルランドにまで見つかっている。フェニキア文字の碑文は、ビブロス (現レバノン) や北アフリカのカルタゴのような、かつてフェニキアの都市や居留地が多数あった地中海沿岸の考古学遺跡で発見されている。後にはそれ以前にエジプトで使われた証拠も発見されている。 文字は元来尖筆で刻み込まれていたので、ほとんどの形状は角張って直線的であるが、より曲線的なものが次第に使われるようになり、ローマ時代北アフリカの新ポエニ文字と発展していった。フェニキア文字は通常右から左に書かれたが、牛耕式(行が変わるたびに書字方向を変える)で書かれた文章もある。
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