音楽の町のホール建設計画
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「飛騨市文化交流センター」の記事における「音楽の町のホール建設計画」の解説
飛騨市発足前の吉城郡古川町は住民による音楽文化活動が盛んな地域であり、町当局もまちづくりの核の1つに音楽文化を活用しようとしていた。その中心的な存在であったのが1978年(昭和53年)5月5日に町民有志が設立した飛騨古川音楽文化協議会、通称「音文協」である。音文協は1980年(昭和55年)9月17日に東京フィルハーモニー交響楽団の飛騨古川公演の誘致に成功、古川町初のオーケストラ演奏会だったことから会場の古川町立古川小学校(現・飛騨市立古川小学校)には大勢の住民が鑑賞に訪れ、大盛況であった。音文協はこの収益と備品を古川町に寄付し、町は1981年(昭和56年)3月に古川町文化施設等整備基金条例を制定、音楽ホールの建設を目指し、『古川町第三次総合計画』にも計画推進が明記された。 音文協は東京フィルの演奏会後も日本国内のオーケストラの招待を続け飛騨古川国際音楽祭へと発展させる素地を作っただけでなく、古川町の小学生による「ひだふるかわ音楽の森合唱団」の設立に尽力した。古川町当局も1989年(平成元年)に「飛騨古川音楽大賞」を創設、第1回で大賞を受賞した武満徹は『スピリット・ガーデン(精霊の庭)』を、同回で創設記念賞を受賞した諸井誠は『竹林奇譚巻之壱「斐陀以呂波」』を、それぞれ古川町のために作曲した。こうした中、1990年(平成2年)文化庁の地域文化振興特別推進事業の1つに古川町の「ひだ古川音楽の森事業」が選定され、3年間の財政援助が得られることになった。「ひだ古川音楽の森事業」は当時の総合保養地域整備法(リゾート法)やふるさと創生事業の影響を受けて、飛騨古川国際音楽祭、芸術家村拠点作り、岐阜県のオーケストラ育成を掲げており、飛騨古川国際音楽祭の会場となる音楽ホールの建設が計画された。バブル景気を反映して芸術家村構想は、スポーツ施設の整備をも含んだ総事業費550億円の「古川黒内地区ニューリゾート基地構想」に発展したが、バブル崩壊により音楽ホールの建設もろとも中止された。 それでも2001年(平成13年)度からの『古川町第五次総合計画』では音楽ホールを含む生涯学習センター建設が盛り込まれ、宮川河川改修工事の一環で取り壊し危機にあった千代の松原公民館の代替施設が求められていた。
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