古川町立古川小学校(1947-2004)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 08:38 UTC 版)
「飛騨市立古川小学校」の記事における「古川町立古川小学校(1947-2004)」の解説
学制改革により1947年(昭和22年)4月、古川町立古川小学校に改称する。開校式は岐阜県下一斉に5月3日に挙行された。また古川町立古川中学校(現・飛騨市立古川中学校)が古川小学校に併設され、1949年(昭和24年)に独立校舎が落成するまで古川小学校と同居していた。古川小学校では新設された社会科の教授法を研究し、ごっこ学習が有効であるとして独自の授業実践を行った。 1966年(昭和41年)、岐阜県の小学校音楽科の研究指定校に指定され、岐阜県教育委員会の指導主事であった山本弘が推進していたふしづくりの音楽教育を実践することになった。これは山本から相談を受けた飛騨教育事務所指導課長の中家一郎が自身の母校であった古川小学校を推薦したことが契機となり、音楽主任の山崎俊宏が中心になってふしづくりの音楽教育が進められた。研究校指定は2年間だけであったが、指定が外れて以降もカリキュラムを改訂しながら続けられ、1978年(昭和53年)に赴任した校長の方針で中止された。古川小のふしづくりの音楽教育は「ふしづくり一本道」として完成され、山崎はふしづくりの音楽教育の功績を讃えられ、中日教育賞を受賞した。ふしづくりの音楽教育が影響しているかは不明であるが、古川町は住民による音楽文化活動が盛んな地域となり、1980年(昭和55年)9月17日には東京フィルハーモニー交響楽団の飛騨古川公演を住民組織が誘致し、古川小学校が会場となった。この公演の成功を受け、古川町では音楽ホールの建設が目標となり、2006年(平成18年)6月3日に飛騨市文化交流センターとして結実した。 1970年(昭和45年)、古川小学校に25mと10mのプールが設置された。1974年(昭和49年)4月、畦畑小学校を統合した。昭和の大合併による新・古川町発足当初は8校あった小学校は順次統合され、畦畑小の統合により町内の小学校は古川小と古川西小の2校に集約された。 1996年(平成8年)にはコンピュータ教室が整備された。
※この「古川町立古川小学校(1947-2004)」の解説は、「飛騨市立古川小学校」の解説の一部です。
「古川町立古川小学校(1947-2004)」を含む「飛騨市立古川小学校」の記事については、「飛騨市立古川小学校」の概要を参照ください。
- 古川町立古川小学校のページへのリンク