吉城高等学校の創立(1948-1953)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 08:40 UTC 版)
「岐阜県立吉城高等学校」の記事における「吉城高等学校の創立(1948-1953)」の解説
吉城郡古川町では、第二次世界大戦前より旧制中学校ないし旧制中等教育学校を誘致する動きがあったものの、実際に開校するのは学制改革による新しい高等学校制度の発足を待たねばならなかった。古川町は吉城郡の6村(細江村、小鷹利村、国府村、河合村、坂上村、坂下村)と高校設置に向けた会合を行い、1948年(昭和23年)5月17日に古川町ほか6ヶ村に対し吉城高等学校組合の設立を岐阜県知事から認可された。そして同年11月1日に定時制課程の普通科・農業科・家庭科を設置する組合立吉城高等学校の開校式を挙行した。高校の校舎は、古川町立古川小学校(現・飛騨市立古川小学校)に間借りしている古川町立古川中学校(現・飛騨市立古川中学校)から又借りすることとなった。 1949年(昭和24年)11月3日に古川中学校が是重地区へ新築移転したため、吉城高校の普通科と農業科も古川中学校校舎へ移転し、家庭科は元の古川小学校に残された。1950年(昭和25年)12月18日に吉城高等学校組合議会は、高校の県立移管を推進することを決定し、県立移管特別委員会を設けた。翌1951年(昭和26年)1月の特別委員会では、県立移管を進めるために古川小学校東校舎を古川町から吉城高等学校組合に譲渡し、組合構成町村の共同失業対策事業を導入して校舎前の水田を埋め立て、校地とグラウンドを整備することとした。同年4月、夜間部が開設され、8月にはグラウンド整備工事が着工し、10月に古川町から校舎が譲渡された。
※この「吉城高等学校の創立(1948-1953)」の解説は、「岐阜県立吉城高等学校」の解説の一部です。
「吉城高等学校の創立(1948-1953)」を含む「岐阜県立吉城高等学校」の記事については、「岐阜県立吉城高等学校」の概要を参照ください。
- 吉城高等学校の創立のページへのリンク