電化の背景と国鉄移管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 04:25 UTC 版)
「奥田駅 (富山県)」の記事における「電化の背景と国鉄移管」の解説
戦争が激化するにつれて富岩鉄道線における貨物輸送需要はますます増大していったが、その需要は既に富岩鉄道の限界を超えており、社線である関係上省線より運賃が高い点や省線との貨車連絡に手間をとる点等も沿線工場の不満の種となっていた。こうした同線の輸送能力の貧弱さによって1940年(昭和15年)8月に富山市議会は富岩鉄道の政府買収とその複線化を求める請願書を議決するなど、富岩鉄道線の政府買収を求める声が高まった。しかし、富山県一市街化を掲げて富岩鉄道を富山電気鉄道の傘下に収めた佐伯宗義はこれに反対し、その輸送力増強の一環として富山駅 - 日曹工場前駅間を1940年(昭和15年)11月に電化し、富岩鉄道線改良のために工費50万円を投資し、中滑川駅 - 岩瀬浜駅間の海岸線建設計画を掲げるなどの対応に努め、1941年(昭和16年)12月1日を以て富岩鉄道線を買収して富山電気鉄道富岩線とした。 しかし、戦時下の軍需によって東岩瀬港はそれまでの工業港ないし地方港の立場から、北海道、樺太、朝鮮及び満洲からの物資が輸送される大中継港に姿を変え、同港に接続する富岩線もまた国策輸送路の性格を強めていったので、結局1942年(昭和17年)12月22日の閣議を以て同線の政府買収が決定し、1943年(昭和18年)6月1日より国鉄富山港線となった。国鉄移管時に日曹工場前駅は奥田駅に改称された。1959年(昭和34年)11月2日に富山駅 - 当駅間の電気運転は休止され、1960年(昭和35年)12月24日に再び非電化路線となった。
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