離陸から行方不明まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:07 UTC 版)
「アダム航空574便墜落事故」の記事における「離陸から行方不明まで」の解説
ジャカルタ発スラバヤ経由マナド行きの574便は、現地時間2007年1月1日12:55(協定世界時では5:55)、96名の乗客(大人85名・子供7名、乳幼児4名)と6名の乗員を乗せてスラバヤのジュアンダ国際空港から離陸した。乗客の大半はインドネシア人であったが、アメリカ人も3人搭乗していた。フライトプランでは目的地のマナドのサム・ラトゥランギ空港には現地時間の16:00頃に着陸する予定であった。しかし現地時間14:53、南緯3°13′92″、東経119°9′17″、スラウェシ島の南のマカッサル上空35,000フィート(10,668メートル)を巡航中に航空管制レーダーから機影が消失した。 事故当時、スラウェシ島上空の天候は荒れており、インドネシアの気象気候地球物理庁は、その地点の雲高は30,000フィート(9,144メートル)、風速は30ノット (15 m/s)程度であったと述べた。インドネシアの航空当局であるPT (PERSERO) ANGKASA PURA I(インドネシア語版)は、気象状況について警告していたが、574便は予定通り出発していた。574便が最後に確認されたスラウェシ島西部のマカッサル海峡では、70ノット (130 km/h)以上の横風が吹いていた。 当初、救援信号が発せられたとの報道がなされていたが、後に誤報であることが判明した。
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