離陸から消息不明まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 02:04 UTC 版)
「イースタン航空980便墜落事故」の記事における「離陸から消息不明まで」の解説
イースタン航空980便は、パラグアイの首都アスンシオンとボリビアの首都ラ・パスを結ぶ定期便だった。1985年1月1日、17時57分、イースタン航空980便(機体:727-225、機体番号:N819EA)は、乗客19名、乗員10名を乗せ、アスンシオンのシルビオ・ペッティロッシ国際空港を離陸した。乗客としてアメリカの在パラグアイ大使の夫人とパラグアイのアメリカ平和部隊のディレクターが搭乗していた。 操縦士は、ラ・パス(エル・アルト国際空港)に、19時47分の着陸予定と伝えていた。19時37分に「高度25,000フィート、ラ・パスの南東を55マイル」という報告を最後に行方不明となった。同機が消息を絶ってから5時間以上経過した翌1月2日未明に、イースタン航空の幹部がその事実を公表した。
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