阿蘇氏族西氏とは? わかりやすく解説

阿蘇氏族西氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 11:58 UTC 版)

西氏 (熊本)」の記事における「阿蘇氏族西氏」の解説

西惟充:天文13年1544年3月阿蘇氏家臣連署状写に名みゆ。烏山光康勅使接見し後奈良天皇後押しで、阿蘇惟豊従二位への昇格準備。 西惟玄:永禄3年1560年)、中原口合戦(南小国町)で阿蘇惟将支え活躍する。 西惟栄:惟玄と同じく中原口合戦で賞されている。 西惟延:越前守阿蘇惟光から、宥職坊を使者として志賀親守宛てた手紙の中で、副臣として賞されている。しかし、阿蘇合戦では、かつて大宮司職位争い薩摩逃れ今は島津庇護下にある阿蘇一族の惟賢を、濱の館大宮司として迎え島津の矛を収めさせよう考えて腹心北里周防守と西源兵衛打ち明けた。それは阿蘇家の裏切りであると後者二人憤る西源兵衛阿蘇惟光阿蘇惟善を目丸山に隠した人物の一人。『拾集昔語』によれば、「口宣文書坂梨氏背負可申候、此外ノ御宝物ハ浜ノ御所江人シラサル穴蔵有之候ニ隠置、迫、井手両頭在番仕、与御母子様共ニ被成御上京ト申フラシ、鳥居大門ヲタテテ、小門ヲ聞キ、注連引廻シ、諸人出入禁制可罷有候、御両若君ヘハ坂梨氏孫太郎西源兵衛渡辺軍兵衛此三人供奉仕、砥用矢部境ノ奥田丸ノ深山幽谷ヘ忍ヒ隠レ守仕、時分ヲ待可申旨申合」とある。 西惟貢:天正18年1590年5月20日阿蘇家文書に名見ゆ竹崎長秀とともに阿蘇賢に随行していたが、阿蘇本家復帰することを誓う連署起請文署名する。これにより阿蘇惟光への忠誠を誓う。 西惟安:左衛門金吾下益城郡中央町住んだ大力であり、若宮神社内の梅林神社祀られる怪力人物

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