阿蘇山観音祭り
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阿蘇山西巌殿寺では、毎年4月13日に「阿蘇山観音祭り」が行われる。修験者による火渡り、湯立の荒行が執り行われる。開催日は明治時代の住職である厨亮俊の命日に因む。厨亮俊は、筑後国御井郡(現在の福岡県久留米市御井)に生まれ、比叡山に上り修行した。若くして権僧正に補任され、比叡山西塔の寺院の住職となる。廃仏毀釈によって一時還俗するが、西巌殿寺復興の際に請われて権僧正に復帰し、明治9年に晋山した。翌年に西南戦争が起こり、阿蘇では農民一揆が起こった。県令より届いた討賊の勅書、旧藩主細川家よりの示諭文を携えて各村を巡回し、一揆などその方向を誤ることの無いよう説いた。それが薩軍に聞こえ、囚われて坂梨(阿蘇市一の宮町坂梨)の酒屋大黒屋の庭先において拷問を受けた。それが元で同年4月13日に息を引き取った。その勇気ある行動を称えて有志により西巌殿寺境内に墓所を作り、その墓石に厨亮俊の功績を刻み、毎年4月13日に「招魂祭」を執り行うようになった。 昭和50年代に当時の住職により、厨亮俊の慰霊祭である招魂祭にあわせて、火渡り、湯立て等の荒行を修験者が行う祭りを合わせて行うようになり、名称も「阿蘇山観音祭り」と改めた。
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