阿くりの体育論
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待ち受けていた高嶺は女高師に国語体育専修科を新設し、帰国したばかりの阿くりを教授に任命した。さらに1903年(明治36年)3月15日には帝国教育会の主催で「女子の体育について」という演目で2時間の講演を行い、内容が同年5月発行の『教育公報』に掲載された。ここで阿くりは以下の所感を述べている。 日本の教育界に女子体育振興の風潮が台頭していること。 教育の真の目的は精神・身体両方の発達であって、女子体育においてはこれを男子にばかりまかせてはおけないこと。 体育教育においては学校では主に体操・遊戯を管理し、衣食住・衛生面は主に家庭が管理する。学校と家庭はお互い協力するのが大事であること。 体操の教授には選択する体操の種類よりも生徒と接する教師の技量がより重要であること。また男教師のみならず女教師もがんばらねばならないこと。 女子を特別扱いしないこと。 体操場の設備の改善。 服装の改善(筒袖袴が望ましい)。 女子体育に対する家庭の理解と協力(衣食住のうち食を重視すること。子供の発育について学校と連絡をとりあうこと)。 女教師の奮起によって女生徒を教育し、日本の立派な国民をつくること。 また同年5月25日発行の雑誌『体育』114号にも「米国婦人の体育と体育所感」と題しアメリカの体育事情を記している。ここでは、1.アメリカでは小学校から高等教育に至るまで女子には男子と同一の普通体操、兵式体操、器械体操等を行わせていること。2.日本の女子体育では表情体操・唱歌遊戯・円舞方舞などが盛んに行われているが、あくまで体操での身体修練を第1に置くべきこと。3.体操には身体修練のみならず他の教科には持ち得ない精神教育上の価値があり、忍耐・勤勉・快活という心を養成する。特に日本の女子は従順・貞節という点では比類ないが、快活・決断力に乏しいため体操遊戯によって修養すべきことなどを挙げている。 同年同月、修業2ヵ年とする女高師国語体育専修科に21名の女生徒が入学。日本において女子体育教師の養成が本格的に始まった。阿くりは以後8年間、4期合計で88人の卒業生を世に送り出した。彼女の指導はそれまでの普通体操に慣れた人の目からは厳しく映ったと考えられる。それまでの体操と体育をとりまく情勢を以下に概観する。
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