防災庁舎の悲劇とは? わかりやすく解説

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防災庁舎の悲劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 08:08 UTC 版)

南三陸町防災対策庁舎」の記事における「防災庁舎の悲劇」の解説

2011年平成23年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生当初の6mという津波予想のため、庁舎留まり避難しなかったのが、犠牲者大きくする一因となった2階危機管理課があり、町災害対策本部置かれた。本庁舎では津波来襲15時25分頃まで、防災無線放送繰り返し住民避難62回に渡り呼びかけ続けた本庁舎から発信された約30分間防災無線放送音声全て録音されている。 危機管理課女性職員遠藤未希繰り返し避難呼びかけ続けたが、波の高さについては「最大で6メートル」という放送続き最後の4回のみ「10メートル」と放送した音声は、放送続けようとする遠藤の声を遮るように「上へ上がって 未希ちゃん 上がって」という周囲制止の声を最後に放送途切れている。遠藤津波飲まれ殉職した。 最期まで防災無線避難呼びかけ続けて犠牲になった遠藤行動は、「多くの命救った命懸けアナウンス」と大きく評価され埼玉県公立学校2012年4月から使われる道徳教材掲載された。 当初津波の高さの予想最大で6メートルだったため、当時行政庁舎勤務していた130名のうち、53名がこの3階建の防災庁舎屋上避難した。しかし津波予想の高さを超え庁舎屋上床上約2メートルの高さまで押し寄せた。その水圧流れにより、屋上避難していた人々多く津波流され犠牲になった生還したのは、佐藤仁町長10名。彼らは庁舎屋上中心に立っていた高さ5メートルアンテナポールや、屋上へ向かう鉄骨階段の手すりにしがみついたことで生還することができた。 屋上写真撮影していた職員(この職員津波飲まれ気絶したが、副町長が腕を掴み続けていたので、無事生還している)のデジタルカメラ本体壊れてしまっていたが、データは無事で、津波が来る前から屋上水没する瞬間までを捉えた様子写っており、写真一部南三陸町ホームページ掲載された。 また、堅牢な建物であり2階電算室で各種行政システム管理していたが、サーバ及びバックアップテープも滅失した。

※この「防災庁舎の悲劇」の解説は、「南三陸町防災対策庁舎」の解説の一部です。
「防災庁舎の悲劇」を含む「南三陸町防災対策庁舎」の記事については、「南三陸町防災対策庁舎」の概要を参照ください。

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