閑院宮邸跡収納展示館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:37 UTC 版)
閑院宮載仁親王が明治10年(1877年)に東京に移住するまでの邸宅であるとされているが、現在の建物との関連性は詳しく分かっていない。明治16年(1883年)5月に閑院宮邸内に宮内省京都市庁舎の建設がはじめられ、同年12月には現在の形態に近いものが完成した。その後、所管を宮内省から厚生省、環境省と移しながら現在に至る。 建物は、中央の中庭を四つの棟で囲む平面構成となっている。東棟は正面入母屋造千鳥破風の車寄せ玄関がある。南棟は資料展示室・収蔵室になり、南側全体に庇を付けた大きな瓦屋葺きの反り屋根を持つ。西棟はレクチャーホールで北棟が事務棟となっている。小規模での修繕が繰り返されてきたが、建物全体の破損や狂いが大きくなってきたため、平成15年(2003年)に全体の修復整備を行うこととなった。外観は建設当時の状態の保存をはかりつつ、後補の不必要な部分や内部の模様替え部分を撤去・整備する方針で行われた。平成18年(2006年)3月に完成し、現在の姿となった。 京都御苑の自然や歴史を学ぶことのできる収納展示室があり、庭園を見ることもできる。
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閑院宮邸跡収納展示館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 09:42 UTC 版)
環境省京都御苑管理事務所によって京都御苑の敷地内で保存・管理されている閑院宮邸跡収納展示館は、江戸時代の公家住宅として、ほぼ完全な形で残る唯一のものである。史跡としては「閑院宮邸跡」名義(現在住居表示:京都府京都市上京区京都御苑3。その区画内の南西端に所在)。江戸時代の宮家の生活を知ることができる貴重な遺構である。2003年(平成15年)から3ヶ年をかけて全面的に整備され、一般に見学することができる。ただし、庭園にある池は3分の2しか整備されておらず、残りの3分の1/は相変わらず地中に眠ったままである。有識者や市民から、早期の庭園完全復旧の声が非常に高まっている。磨き抜かれた欅材(けやきざい)の床板に新緑が映りこむ「床みどり」は、邸の観光面での売りの一つ。 閑院宮家の当時の敷地は現代のものより広大であり、東は九条池(九条邸の庭園)のすぐ隣まであったとされている。 京都御苑内には、閑院宮邸跡収納展示館のほかにも、桂宮邸(非公開・現在宮内庁職員宿舎の敷地として利用)が残っている。
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