録音に関する見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 05:51 UTC 版)
「アレッサンドロ・モレスキ」の記事における「録音に関する見解」の解説
アルバムThe Last Castratoに関しては、様々な見方が存在している。 記録としては貴重だが、モレスキの歌手としての力量に疑問を持つ見解や、録音当時すでに40歳代半ばであったため最盛期が過ぎていたという見解もある。 確かに音域の面からは、彼の最高音は20歳代半ばには3点E(E6)であったのが、引退時の50歳代半ばには2点G(G5)へと下がっていた。 しかし一方で、彼は実際卓越した歌手だったと考える人々もいる。彼らは、歌唱に求める時代の趣味の変化が、上記のような誤解を招いた原因だと考えている。 10代の若さでローマの上流階級のサロンで歌声を披露していたことや、イタリアの新聞ではいつも「ローマの天使」とうたわれていたこと、ほかのカストラートたちを退けて教皇庁聖歌隊でソリストの座についていたこと、2人の国王の葬儀のミサで歌っていることなどから、存命中の評価は高かったことが分かる。 しかし、現代の聴衆にとっては、ポルタメントを多用したピッチのアタックや、19世紀のロマン派全盛期に主流であった激情の表現といった、歌唱表現、趣味における時代の隔たりが、彼の芸術の本質を覆い隠していると考えられている。
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