録音の経緯
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「メドレー (ウイングスの曲)」の記事における「録音の経緯」の解説
1972年11月、ポールは「レイジー・ダイナマイト」を録音した。曲はこの時点で既にメドレーの一部であるという体裁は整っていた。しかしその発想は鎮座したまま、ポールは同年12月レコード会社EMIにアルバム「レッド・ローズ・スピードウェイ」の曲目を通知した。当初の「レッド・ローズ・スピードウェイ」は二枚組での発売予定であった。 しかしEMIから二枚組にすることを反対され、演奏時間を1枚組分に絞り込む必要が出たポールは、アルバムの収録曲を一から見直し、そこで鎮座していた「メドレー」の発想を持ち出すことにした。 問題なのは残りの3曲を「メドレーにする前提で作曲した」のか「出来の悪い曲をメドレーに組み立てた」のかである。これについての真相は不明だが、しかし、「全ての曲のメインメロディが同じコード進行で作られている」という事を考えると、前者の説の方が信憑性があると考えられる。 ただし、ドラマーのデニー・シーウェルは「これらの曲はポールが気に入っていた曲だったが、未完成だったんだ」と「ポールがお気に入りの未完成曲をメドレーにまとめあげた」という旨を含んだ発言をしている。 また、4曲をメドレーにする編集をしたジョン・リッキーは「メドレーのバッキングトラックは「ホールド・ミー・タイト」「レイジー・ダイナマイト」「ハンズ・オブ・ラヴ」の3曲を続けて演奏したものを録音した覚えがある。」と発言した。つまり11月に録音した「レイジー・ダイナマイト」のバッキングトラックが没になったという意味になるのだが、トニー・クラーク著の「Paul McCartney Recording Sessions (1969~2013) 」にそのような記録はない。なお、彼はそのあと「間違っているかも。もしかしたら「レイジー・ダイナマイト」に「ホールド・ミー・タイト」と「ハンズ・オブ・ラヴ」をくっつけただけかもしれない。」と付け加えた。
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