作曲や録音の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:15 UTC 版)
「原子心母 (曲)」の記事における「作曲や録音の経緯」の解説
同名アルバム『原子心母』のアナログA面を覆う23分強のこの大作は、元々はデヴィッド・ギルモアがコンサートツアー中に思いついたインストゥルメンタル・ナンバーである。ギルモアはこれを「Theme from an Imaginary Western」と呼んでいた。ロジャー・ウォーターズはこの曲に感銘を受け、バンドはこの曲をだんだん形にしていった。バンドはこの曲を「The Amazing Pudding」と呼び、コンサートでも1970年1月にパリで披露されて以降、ライブのレパートリーになっていた。 3月にアビーロードスタジオで4人で録音したものの物足らなさを感じ、ウォーターズは知人から紹介されたロン・ギーシンにテープを渡し、4~5月にピンク・フロイドがアメリカ公演をやっている間にアレンジをするように頼んだ。ギーシンがアレンジし、結果出来上がった曲は、大作にふさわしいスケールの大きなもので、なおかつメロディアスなものであった。しかしながら、中間部分のギターソロを除けばやはり、チェロ・ソロ等ほぼクラシック作品であるといえる。 ピンク・フロイドの帰国後、ブラス、チェロ、コーラスが録音され、1970年6月イギリスのバースで行われたコンサートで、コーラス、ブラス隊の加わったバージョンが初めて披露された。以降では数公演オーケストラ部隊との共演を果たしている。 タイトル「Atom Heart Mother」が決まったのは1970年7月16日「BBCインコンサート」出演のときである。このときまで正式なタイトルは決まっていなかったのだった。DJのジョン・ピールから「お客さんに紹介するためにタイトルが必要」と言われた際、ロン・ギーシンが持っていた当日のイブニング・スタンダード紙に「Atom Heart Mother Named」という見出しで、原子力電池駆動の心臓ペースメーカーの植込み手術に成功した56歳の女性の記事があるのを見て「Atom Heart Mother」というタイトルが決定した。
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