作曲コンクールへの応募とは? わかりやすく解説

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作曲コンクールへの応募

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 05:13 UTC 版)

須賀田礒太郎」の記事における「作曲コンクールへの応募」の解説

様々な作曲技法学んだ須賀田は、交響詩横浜」(1928)、管弦楽曲春のおとずれ」(1931)、交響詩「桜」(1933) などフランス印象派風の習作経て、作曲コンクールへの応募を開始した1936年宮内省式部職楽部主催管弦楽曲募集コンクールに「日本華麗絵巻作品一が入選日本放送協会主催の「祝祭典用管弦楽曲懸賞」に「祭典前奏曲作品二が4位に入選翌年元旦ラジオ放送された。また黎明作曲家同盟主催日本現代作発表会にも「前奏曲遁走曲作品三が選ばれた。1938年昭和13年)、新交響楽団 (現NHK交響楽団) 主催第2回邦人作品コンクールに「交響的舞曲作品四 (三管編成/演奏時間6分) が小船幸次郎祭りの頃」、山田和男若者のうたへる歌」、平尾貴四男隅田川」、荻原利次日本風舞曲とともに入選2月25日ヨーゼフ・ローゼンシュトック指揮する新交響楽団により初演された。「交響的舞曲」は同年6月ローマワルシャワヘルシンキにおいて、小船幸次郎指揮により伊福部昭の「日本狂詩曲」等と共に演奏された。受賞にあたって須賀田は次のように語っている。 自分まだまだ後期ロマン派技法充分習得しているとは言えず、この作品作曲にあたって試行錯誤重ねたが、現時点では最善尽したつもりである。真に日本の民族的な真情芸術作品として昇華させるには、これから後期ロマン派の手法を身につける事が不可欠であると自分考える。

※この「作曲コンクールへの応募」の解説は、「須賀田礒太郎」の解説の一部です。
「作曲コンクールへの応募」を含む「須賀田礒太郎」の記事については、「須賀田礒太郎」の概要を参照ください。

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