作曲の難航と完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:22 UTC 版)
「アッティラ (ヴェルディ)」の記事における「作曲の難航と完成」の解説
しかし作曲は難航し、様々なトラブルが起こる。1845年に『ジョヴァンナ・ダルコ』と『アルツィーラ』を立て続けに生み出したヴェルディは疲労が溜まっていたうえ、リウマチを患って苦しめられる。今度はソレーラが第3幕の後半を下書きのまま、妻テレーザ・ロスミーラとスペインへ旅行に行き、そのままマドリードに移住するという事態に遭う。苛立ちを隠せないヴェルディは止むを得ず、当初依頼したピアーヴェに未完の台本の作成を依頼することになる。このトラブルの後、ヴェルディはソレーラと袂を分けることになる。また1845年から1846年にかけての謝肉祭のシーズンで初演される予定だったが、先のトラブルによって大幅に遅れてしまう結果となった。また、先の理由で、後半になるに従って「台本の未熟さ」が指摘されるようになってしまった。 オペラは苦難の末、2月の半ばに完成させる。同時にリウマチの症状は悪化する一方であった。
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