録音にまつわるエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 23:07 UTC 版)
「デューク・アット・ファーゴ 1940」の記事における「録音にまつわるエピソード」の解説
デューク・エリントン楽団のファンであるアメリカ人の青年ジャック・タワーズ(Jack Towers)と、リチャード・バーリス(Richard Burris)は、1938年ごろからエリントン楽団のコンサートの私的録音を計画、当時のエリントン楽団のエージェント主であるウィリアム・モリスと交渉し、商業目的に使用しないことを条件に録音の許可を得る。2人は1940年11月7日、レイク・イン・ホテルにて、バッテリー方式のポータブル・ディスク・カッターを用いて、演奏をその場でアセテート盤にカッティングしていった。しかし、当時のカッティング・マシーンは録音ディスクの交換に時間が掛かったことに加え、録音機器を1台しか使用しなかったために、曲の途中でアセテート盤の残量がなくなり、録音が中断されたり、マイクの不調でヴォーカルの録音が失敗するなどのトラブルが発生し、当日録音された47曲のうち、ほぼ完全な形で録音できたものは30数曲であった。
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