銭と匁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 17:08 UTC 版)
中国と韓国での単位名は「銭」であり、日本でも近代以前は銭と呼んでいたが、古くからの用例もあり大内家壁書の文明16年(1484年)の条項に「匁」の名が現れた。大内家壁書には、「金銀両目御定法之事」の項目に「こがねしろがねの両目の事は、京都の大法として、いづれも、一両四文半銭にて、弐両九文目たる処に、こがねをば、一両五匁にうりかう事、そのいはれなし。」と記されている。 上記は文明16年(1484年)に室町幕府により金一両が公定された当時の文書であり、この金一両4.5匁は京目と称した。鎌倉時代後期頃より金一両は4.5匁、銀一両は4.3匁とする慣行が生まれ、銀1両=4.3匁とする秤量銀貨の単位が用いられるようになったが、江戸時代まで分銅の表記は「戔」であった。江戸時代の「匁」の用法は専ら銀目によるものが多い。1765年に鋳造された五匁銀に「文字銀五匁」と、通貨単位として初めて「匁」の文字が貨幣に入った。 1871年の新貨条例では日本量目の比較表では「戔」とされており、貨幣略図并品位量目表に「匁」の名が現れる。1891年の度量衡法で法的にメートル法を基準とした「匁」が登場した。日本においても正規の名称は明治初期まで「銭」であった。 読み「もんめ」は、一文銭の質量であることから「文目」(もんめ)と呼んだことに由来する。「目」は、「秤の目」の意味から転じた、質量を意味する接尾辞で、「目方」と同じ意味である。「匁」の文字は「文」と「メ」を組み合わせたものであるとする説があり、また「銭」の異字である「泉」の草書体に由来するともされる。 漢字「匁」は本来「銭」の異体字として中国で使用されていた字で日本の国字ではないとする見解もあるが、字書類に載っていない上に日本で「もんめ」の漢字として本来の銭を圧倒して使われたために、しばしば国字の例としてあげられる。
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