元神明宮とは? わかりやすく解説

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元神明宮

(銀杏稲荷大明神 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 10:18 UTC 版)

元神明宮
所在地 東京都港区三田一丁目4番74号
位置 北緯35度39分12.6秒 東経139度44分26.6秒 / 北緯35.653500度 東経139.740722度 / 35.653500; 139.740722座標: 北緯35度39分12.6秒 東経139度44分26.6秒 / 北緯35.653500度 東経139.740722度 / 35.653500; 139.740722
主祭神 天照皇大御神
創建 伝・寛弘2年(1005年
例祭 9月16日
地図
元神明宮
元神明宮 (東京都区部)
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元神明宮(もとしんめいぐう)は、東京都港区三田一丁目に鎮座する神社である。

祭神

天照皇大御神主祭神として、水天宮相殿に祀る。

由緒

社伝によると、寛弘2年(1005年)に一条天皇の勅命により創建され、渡辺綱産土神であったことから、多くの武人に崇敬されたという。また、江戸時代徳川将軍家の命により神体神宝が飯倉神明(現芝大神宮)に移されることになったが、氏子・崇敬者の熱意により境内に神体を隠し留め、これを昼夜警護したとも伝えられ、「元神明宮」と称して、藩邸が隣接した有馬氏を始め、広く衆庶の崇敬を集めたという。大正関東大震災昭和東京大空襲等の災厄から氏子・崇敬者を守ったとされたことから、厄除けの神としても崇敬を受け、平成17年(2005年)9月には、「御鎮座壱千年」の記念事業を行った。

相殿の水天宮は、文政元年(1818年)有馬家藩邸の邸内社として、筑後久留米水天宮から分祀されたもので、安産の神、水の神として崇拝されて来たが、明治元年(1868年)に有馬邸が青山に移転するに際して、その分霊を相殿として奉斎することになった(ちなみに、青山の有馬邸内社の水天宮は、更に日本橋蛎殻町に遷座され、現水天宮となった)。

境内社

  • 平河稲荷神社
  • 豊日稲荷神社
  • 和光稲荷神社
  • 天白稲荷神社
  • 槻根稲荷神社
  • 権太夫稲荷神社
  • 白滝稲荷神社(銀杏稲荷神社)

以上いずれも宇迦之御魂神を祭神とする。現在の社殿は旧社殿の老朽化のために全面的な改築を行い、平成6年6月に竣功したものである。

交通アクセス

氏子地域

港区三田一丁目(旧・芝赤羽町、芝三田小山町の区域)

副業

社殿と行き来できる賃貸ビルを経営している[1]

脚注

  1. ^ リフォーム施工例BRS

関連項目

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