野間神社 (今治市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 野間神社 (今治市)の意味・解説 

野間神社 (今治市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/27 03:31 UTC 版)

野間神社
所在地 愛媛県今治市神宮甲699
位置 北緯34度3分3.6秒 東経132度57分25.7秒 / 北緯34.051000度 東経132.957139度 / 34.051000; 132.957139 (野間神社)座標: 北緯34度3分3.6秒 東経132度57分25.7秒 / 北緯34.051000度 東経132.957139度 / 34.051000; 132.957139 (野間神社)
主祭神 飽速玉命
若弥尾命
須佐之男命
野間姫命
社格 式内社名神大)・県社
創建 不詳
本殿の様式 入母屋造
例祭 5月3日
テンプレートを表示

野間神社(のまじんじゃ)は、愛媛県今治市神宮(かんのみや)に鎮座する神社である。式内社名神大)で、旧社格県社

祭神

祭神については諸説あるが、現在は以上の四柱とする。

飽速玉命は速谷神社の祭神で、阿岐国造の祖。若弥尾命はその三世の孫で、怒麻国造の祖。野間姫命は若弥尾命の妻とされる。

野間神社が「野間天皇神」「濃満天皇神」などと呼ばれたことから祭神・牛頭天王とし、須佐之男命を主神とする説もあるが、『野間神社誌』では飽速玉命・若弥尾命・野間姫命を主祭神とし、須佐之男命は配祀であろうとする。ただし、中世、牛頭天王を祭神とした時期があったことは別当・乗禅寺に残る文書などから明らかである。

由緒

創建については不詳だが、怒麻国造となった若弥尾命が、その祖・飽速玉命を奉斎したことに始まると考えられている。『国造本紀』では、若弥尾命が怒麻国造に定められたのは神功皇后の御代とされる。

社伝によれば、701年大宝元年)社殿が造営された。766年天平神護2年)には従五位下を授けられ、神戸二烟を充てられた。837年承和4年)には大山祇神社とともに南海道で初めての名神に預かる。延喜式では名神大社に列し、940年天慶3年)には海賊宿祷により正二位に昇叙する。

中世には河野氏をはじめとする武将の尊崇厚く、江戸時代には松山藩雨乞い祈願所とされた。

1871年(明治4年)郷社に列格、1895年(同28年)県社に昇格。

社号

続日本紀等には「野間神」、三代実録には「野間天皇神」、延喜式神名帳には「野間神社」とある。野間には乃万・濃満・濃万などの字を当てることもあったが、これは野間郡国造本紀怒麻国)に由来する。建長田文には「乃万宮」、国分寺勧請神名帳には「正一位 濃満天皇神」とある。「大梵天王宮」「乃万社大梵天王宮」等という例もある。

土地の人々の間では「天王社」「天王宮」などが用いられ、「テンノンさん」と俗称された。

文化財

重要文化財
県指定有形文化財
県指定無形民俗文化財

例祭

5月3日に行われる例大祭には浦安の舞、大名行列、獅子舞、藁御輿、紺原御船などが奉納される。中でも獅子舞愛媛県無形民俗文化財、藁御輿は今治市無形民俗文化財に指定されている。

参考文献

  • 「野間神社誌」野間神社誌編集委員会(野間神社、平成19年)





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野間神社 (今治市)」の関連用語

野間神社 (今治市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野間神社 (今治市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野間神社 (今治市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS