野毛大道芝居
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野毛大道芝居(のげだいどうしばい)は、1994年に野毛大道芸の前夜祭として企画された。評論家平岡正明、作家の荻野アンナ・朴慶南、俳優高橋長英、シャンソン歌手永登元次郎、前衛芸術家秋山祐徳太子、舞踏家吉本大輔、元横浜市長高秀秀信、前横浜市長中田宏ほか、野毛ゆかりの文化人や市民が参加、2005年に全11回で終了した。
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野毛大道芝居
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野毛大道芝居は、1994年から2005年までの間行われていた野毛大道芸の関連イベントである。座長は俳優の高橋長英だったが、それ以外は舞台経験のない素人によって大道芸の開催時、野毛の屋外で実施される芝居だった。発案者は野毛大道芸と同じく福田で、「大道芸があるなら大道芝居があってもいい」と始まった。当時客の入りが芳しくなかった野毛の飲食店を支援するために芝居をすることを着想、知り合いであった高橋長英に声をかけたところ、その場にいた朴慶南や、平岡正明、荻野アンナなど野毛の常連で福田の知り合いであった著名人が次々に興味を持ち、出演者が集まっていった。第一回の演目は「花のウエストサイド一本刀土俵入り物語」であり、一本刀土俵入りとウエストサイドストーリーの二つの脚本を強引にまとめ、さらに本筋とは関係のない賑やかしを混ぜ込むという手法で行われた。こうしたやり方は、その後の大道芝居でも取り入れられた。入場料の類いはなく、大道芸同様観客が自信の満足度に従っておひねりを投げるという形式だった。第一回の興行が成功した後、継続して実施することとなり、横浜市と交渉によって横浜市中央図書館設立準備のために使用されていた野毛山公園の市立図書館仮設館を稽古場および道具置き場として使用できるようになり、「フラスコ」と呼称された。第二回の公演には山崎洋子が、第三回からは当時現役の横浜市長であった高秀秀信が参加するなど、地元横浜・野毛に関連する著名人が多く関わっていた。一方で、参加者に野毛域外からの参加者が多くなったことに対する不満もあり、2004年、プロデューサーとして芝居を手動してきた福田の野毛まちづくり会議理事退任、仮設館の閉鎖などが重なったこともあり、全11回で終了となった。
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