配電統制令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 05:34 UTC 版)
詳細は「配電統制令」を参照 電力管理法の施行により、日本国内における発電・送電施設はことごとく日本発送電の管理下におかれた。だが配電事業に関しては従来の通り民間が行った。1937年(昭和12年)当時、日本に存在した電気事業者は470社にも及んでいたが、政府は電気事業法に基づく行政指導を強化することで、これら事業者間の統合を図り、より広域的な配電事業を形成しようと考えていたからである。だが、大正時代以降の激烈なシェア争いは、各事業者間に拭い難いしこりを残しており、逓信省が事業統合を促しても、利害関係や感情的なもつれによって遅々として進まなかった。 行政指導に限界を感じた逓信省は、事業についても発送電事業と同様に国家統制によって管理し、以って国家総力戦に対応するための配電事業とする方針を固めた。配電事業を国家統制することで先に発足した日本発送電が保有する全国規模の送電線網に、各事業所が保有していた配電系統を接続することで設備の効率化を図り、重複している配電施設を撤去して二重投資を削減することにより、コスト削減を図って電気料金の低廉化を実現するという狙いもあった。低廉な電気料金は帝国議会でも議論の争点となっていたが、逓信省はコスト削減により、この問題を解決する方針を採ったのである。 こうして、発送電事業に続いて配電事業の国家統制が推進され、太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)8月30日、配電統制令が公布、即日施行された。全国各地の配電事業者は統合を余儀無くされ、五大電力会社を含めて全て解散し、全国9ブロック(北海道・東北・関東・中部・北陸・近畿・中国・四国・九州)に新たな配電会社が設立され、この9配電事業体制の下で日本発送電と連携した配電事業が行われた。 こうして戦局が差し迫る直前に、日本の電力事業は全て政府の管理下に置かれ、逓信省宿願の電力国家統制が実現したのである。
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