都城市立山之口中学校とは? わかりやすく解説

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都城市立山之口中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 09:02 UTC 版)

都城市立山之口中学校
北緯31度46分37.6秒 東経131度09分09.9秒 / 北緯31.777111度 東経131.152750度 / 31.777111; 131.152750座標: 北緯31度46分37.6秒 東経131度09分09.9秒 / 北緯31.777111度 東経131.152750度 / 31.777111; 131.152750
過去の名称 山之口村立山之口中学校
山之口町立山之口中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 都城市
併合学校 青井岳分校
設立年月日 1947年昭和22年)5月8日
共学・別学 男女共学
学校コード C145220243207
所在地 889-1802
宮崎県都城市山之口町花木1536番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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都城市立山之口中学校(みやこのじょうしりつ やまのくちちゅうがっこう)は、宮崎県都城市山之口町花木にある公立中学校

概要

歴史
1947年昭和22年)の学制改革の際に新制中学校として創立。現校名となったのは2006年平成18年)。2022年令和4年)に創立75周年を迎えた。
校章
校名の「山之口」を図案化したものを背景にして、中央に「中」の文字を配している。
校歌
1961年(昭和36年)制定。比江島一夫、作曲は大山親衛による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「山之口中学校」が登場する。
通学区域[1]
都城市山之口町全域。
中学校区は都城市立山之口小学校都城市立麓小学校都城市立富吉小学校

沿革

  • 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 4月1日 - 山之口国民学校初等科は、新制小学校「山之口村立山之口小学校」に改組・改称。
    • 4月30日 - 新制中学校の設置が認可される。
    • 5月1日 - 山之口国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「山之口村立山之口中学校」に改組・改称。開校式を挙行。
      • 当初、山之口小学校教室および山之口青年学校の校舎を使用。
    • 7月 - 保護者会が発足。
    • 11月 - 保護者会を解散し、山之口小中PTAが発足。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 山之口青年学校が廃止される。
    • 4月 - 木造新校舎が完成し、4学級を収容。
    • 7月 - 山之口小中PTAが解散し、中学校PTAが発足。
    • 9月 - 木造新校舎が完成し、2学級を収容。
  • 1949年(昭和24年)
    • 8月 - 木造新校舎が完成し、6学級を収容。
    • 12月 - 木造新校舎1棟(7教室)が完成。
  • 1950年(昭和25年)12月 - 運動場が完成。
  • 1952年(昭和27年)8月 - 中央校舎3教室が完成。
  • 1957年(昭和32年)2月 - 家庭科教室が完成。
  • 1959年(昭和34年)4月 - 体育館が完成。
  • 1963年(昭和38年)3月 - 運動場を移転。
  • 1964年(昭和39年)11月3日 - 町制施行により、「山之口町立山之口中学校」に改称。
  • 1965年(昭和40年)8月 - 運動場に芝張りを実施。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1970年(昭和45年)
    • 4月 - 天神分校が「青井岳分校」に改称。
    • 8月 - 武道場が完成。中央校舎跡に鉄筋コンクリート造2階建ての管理特別教室棟および南校舎が完成。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 特殊学級を開設。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 青井岳分校を統合。
  • 1975年(昭和50年)- 運動場を改良。
  • 1987年(昭和62年)- 剣道場が完成。
  • 1988年(昭和63年)- 校舎を増築。
  • 1989年(平成元年)- パソコン教室を整備。
  • 1997年(平成9年)- 創立50周年記念式典を挙行。
  • 2000年(平成12年)- 新プールが完成。
  • 2006年(平成18年)1月1日 - 都城市との合併により、「都城市立山之口中学校」(現校名)に改称。
  • 2010年(平成22年)- 運動場およびテニスコートを改修。
  • 2014年(平成26年)- 北校舎耐震補強工事が完了。
旧・青井岳分校(あおいだけ)
  • 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)
    • 4月1日 - 天神国民学校初等科は、新制小学校「山之口村立天神小学校[2]」に改組・改称。
    • 5月8日 - 天神国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「山之口村立山之口中学校 天神分校」に改組・改称。
      • 当初、天神小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)11月 - 新校舎が完成。
  • 1950年(昭和25年)11月15日 - 火災により、中学校天神分校の校舎が全焼。公民館を仮校舎として授業を開始。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 校舎を復旧。
  • 1964年(昭和39年)
    • 1月 - ミルク給食を開始。
    • 11月3日 - 町制施行により「山之口町立山之口中学校 天神分校」に改称。
  • 1968年(昭和43年)- 特別教室3、管理室1が完成。
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 「山之口町立山之口中学校 青井岳分校」に改称。
  • 1973年(昭和48年)3月31日 - 山之口町立山之口中学校(本校)への統合により閉校。
    • 青井岳小学校[2]が1977年(昭和52年)3月末に閉校した後の跡地は、民間の企業に使用された後、校舎は解体された。現在は青井岳観測所の敷地となっている。

交通アクセス

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
  • 宮崎交通バス(宮交バス)「山之口総合支所前」停留所
最寄りの幹線道路

周辺

  • 都城市山之口学校給食センター
  • 都城市山之口総合支所
  • 山之口町商工会
  • 山之口あじさい公園
  • 花ノ木川

脚注

  1. ^ 都城市立小学校通学区域を一覧で紹介します - 都城市ウェブサイト
  2. ^ a b 天神小学校および青井岳小学校に関しては、都城市立山之口小学校#沿革を参照のこと。

参考文献

  • 「山之口町史 町制施行十周年記念」(1974年(昭和49年)1月3日, 山之口町)p.272~p.275(山之口中学校)、p.275~p.276(青井岳分校)

関連項目

外部リンク




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