郊外との競争や不況で破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:54 UTC 版)
「ハルネ小田原」の記事における「郊外との競争や不況で破綻」の解説
小田原市内で初めての総合ショッピングセンターとして開業し、「おだちか」の通称で親しまれるファッションやグルメの拠点となり、最盛期の1991年(平成3年)には売上高約87億円に達した。 しかし、JR東海道線鴨宮駅近くの川東地区に1993年(平成5年)10月21日にダイドープラザが開業して核店舗のイトーヨーカドー小田原店が見込んでいた年間売上高約85億円を大幅に上回る年間売上高約154億円を1997年(平成9年)2月期に上げたのを皮切りに、1999年(平成11年)3月18日に小田原シティモールクレッセが開業したほか、2000年(平成12年)9月28日にはダイドープラザロビンソン百貨店小田原が入居するウエストモールが増設され、イトーヨーカドー小田原店が入居する既存のイーストモールと合せて百貨店と総合スーパーの2核を持つショッピングセンターダイナシティとなるなど駐車台数5,000台を超える郊外型の商業地区が誕生した。 そうした郊外の商業施設の影響を受けて2001年(平成13年)には売上高が約33億円まで落ち込み、運営していた「小田原地下街株式会社」が約17億円の負債を抱えて、2002年(平成14年)7月に民事再生法の適用を申請して経営破綻し、それに伴って地下街も閉鎖となった。 2003年(平成15年)3月に小田原市と小田原商工会議所、さがみ信用金庫などが出資して「株式会社アミーおだちか」を設立し、同社が小田原市が所有する施設の運営する形で営業を開始した。 しかし、不況の長期化に加えて当館に隣接する小田原駅ビル「小田原ラスカ」が開業したことなどもあって売上とテナントの減少に歯止めを掛からず、施設の老朽化に伴って設備投資も増加したことが重なったため、2007年(平成19年)6月30日に全店舗を閉鎖して地下街としての営業を終了した。
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