遺跡公園地区(スルタンアフメト地区)
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「イスタンブール歴史地域」の記事における「遺跡公園地区(スルタンアフメト地区)」の解説
トプカプ宮殿 15世紀から19世紀までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。旧ビュザンティオン市のアクロポリスがあった旧市街の半島の先端の丘に位置する。かつては宮殿を取り囲む城壁の傍らにアヤソフィア・モスクがあり、この地区で帝国の政治と公的行事が執り行われていた。数百年にわたって増築を繰り返された宮殿建築が残る。 アヤソフィア 360年建設、537年再建のキリスト教の大聖堂。15世紀からのオスマン帝国時代にはモスクに転用され、20世紀に無宗教の博物館に変えられた。再建時以来の直径31mの大ドームとモザイク画、モスク時代に付け加えられた4本のミナレットをはじめとするモスクとしての装飾が残る。 アト・メイダヌ 古代ローマ都市ビュザンティオンの競馬場の跡地。現在の名前はトルコ語で「馬の広場」を意味し、4世紀にエジプトから持ち込まれて競馬場の中心に据えられたオベリスクが現存する。3世紀に建設され、東ローマ帝国時代には「パンとサーカス」を通じて皇帝とコンスタンティノポリスの市民が触れ合い、時に反乱の勃発地となる政治の場であった。オスマン帝国時代には公園化され、イスラム教の祝祭でパレードに用いられた。 スルタンアフメト・モスク 1616年にアフメト1世が建設させたモスク。アヤソフィアの南隣、アト・メイダヌの東隣に位置し、一帯の地名、スルタンアフメトの由来となっている。6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、数万枚のイズニク製タイルによって青く輝くことから「ブルー・モスク」の通称で広く知られている。 地下宮殿 スルタンアフメト地区の地下に広がるローマ時代の貯水池。コリント式の円柱で支えられた広大な地下空間で、ヴァレンス水道橋を通じて市街のはるか西の郊外の水源地から引かれた水がたくわえられた。円柱の基部として、ビュザンティオン時代のものと思われるメデュサの巨像の頭部が使われていることでも有名である。
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