連隊への配備とウィットワースの問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:31 UTC 版)
「ウィットワース銃」の記事における「連隊への配備とウィットワースの問題」の解説
1864年頃には、以下の連隊にそれぞれ68丁ずつウイットワース銃が配備された。 第二大隊 第2近衛歩兵連隊(英:Grenadier Guards) 第一大隊 第1フュージリア近衛連隊(英:History of the Scots Guards (1805–1913)) 第一大隊 第3歩兵連隊(バフス) (英:Buffs (Royal East Kent Regiment)) 第二大隊 第5歩兵連隊(英:Royal Northumberland Fusiliers) 第二大隊 第5フュージリア連隊(英:Royal Regiment of Fusiliers) 第一大隊 第21フュージリア連隊(英:Royal Fusiliers) 第一大隊 第24歩兵連隊(英:South Wales Borderers) 第一大隊 第60ライフル連隊(英:King's Royal Rifle Corps) 第二大隊 第60ライフル連隊(英:King's Royal Rifle Corps) 第73歩兵連隊(英:73rd (Perthshire) Regiment of Foot) 第86ロイヤル連隊(英:86th (Royal County Down) Regiment of Foot) 第四大隊 ライフル連隊(英:Rifle Brigade (The Prince Consort's Own)) これらの連隊に加えて、インドに駐在していた以下の5つの連隊にもそれぞれ68丁ずつのウイットワース銃が配備された。 第34歩兵連隊(英:34th (Cumberland) Regiment of Foot) 第91歩兵連隊(英:91st (Argyllshire Highlanders) Regiment of Foot) 第42歩兵連隊(英:42nd Regiment of Foot) 第二大隊 ライフル連隊(英:Rifle Brigade (The Prince Consort's Own)) 第77歩兵連隊(英:77th (East Middlesex) Regiment of Foot) しかし、ウィットワース銃には幾つかの問題があり、一つ目はファウリングの事であった。ウィットワース銃は約32度以上の温度で、湿度が低い環境内で発砲されると、とても酷いファウリングを起こした。マルタの様な気温の高く湿度の低い地域などでは、6~7発程しか簡単に装填出来なかった。 二つ目に、ウィットワース銃は、非常に丁寧に装填しなくてはならないという弱点があった。エンフィールド造兵廠のプルーフマスターであるJ・B・ベーカーは、ウィットワース銃を装填する際には、弾薬をラムロッドで縦方向に強く押し込んだり、横方向へと動かさない様にする事を記した。これは、弾丸が銃身内で向く方向を僅かに変え、発射時に真っ直ぐ銃身を通らなくなる問題を防ぐ為である。 他にも、弾薬を銃身底部にある火薬の上に注意して(しかし、強過ぎないように)、装填する必要がある事も記していた。これは、弾薬内のグリース漬けの綿の形状が壊れ、火薬と混ぜ合わさってしまうのを防ぐ為であった。そして、銃身内にて弾丸が装填されるべき位置から1インチ(2.54cm)上の部分がたまに少し粗くなる事があった為、その場合には必要に応じてラムロッドで弾丸を軽く突く必要がある事も記した。この予防措置が行われなければ、銃身内でファウリングが起こり始め、僅か数発の発砲で装填出来なくなってしまった。 この様な欠点の多くは、他の軍用小口径ライフルに当て嵌まるが、これらの欠点が政府が小口径の前装式ライフルの一般的な導入に反対した理由となった。実際、ウィットワース銃の制限された試験的な採用は、このライフルの一般的な導入の先駆けではなく、ライフル銃身に使用するスチールの適合性の実験と見做されていた。 この様な事から、ウィットワース銃は一部の連隊では1867年まで制限された採用に留まり、軍事使用はあまり成功しなかった。
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