連載当時の背景
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1988年に競馬をテーマとした映画の『優駿 ORACION』が公開された翌年、バブル景気と「芦毛の怪物」オグリキャップなどの名馬の活躍により競馬ブームが起こり始めた1989年に本作『風のシルフィード』は「週刊少年マガジン」で連載が開始され、当時としてはめずらしかった長編競馬漫画として人気を博した。結果的には後に『みどりのマキバオー』、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』、『蒼き神話マルス』、『優駿の門』と、四大週刊少年誌で競馬漫画が同時期に連載され、この作品が競馬漫画隆盛の呼び水となっている。特に『みどりのマキバオー』においては、貧乏牧場の白い安馬と大牧場の良血馬という構造が共通し、戦績やレース内容も本作をオマージュしている。このことから、本作たった1作で少年競馬漫画の雛型がほぼ完成されたことが窺える。 連載が終了する1993年まで、日本国外のグレード競走 (GI・GII・GIII) を勝った日本調教馬はおらず、作中で菊地もそのように言及している。そして、シルフィードがGIIIのドーヴィル大賞典で日本調教馬として日本国外グレード競走の初勝利を挙げたことになっている。なお、実際に日本国外のグレード競走で初めて勝った馬は、1995年の香港国際カップに勝利したフジヤマケンザンで、そのときの騎手は蛯名正義であった。また、グレード制導入前にさかのぼれば、1959年にハクチカラが勝利したワシントンバースデーハンデキャップが、日本調教馬による日本国外重賞初勝利である。 連載開始当初、マキシマムはせり市で3億円という実際の競馬界でも最高額となる金額で落札されたが、連載中に現実の競馬界では3億5000万円という高値で取引されたサンゼウスが登場した。これを意識してか、作中でもサンアドニスという高額取引馬が登場し、キュータと新馬戦で対決している。 同一年の菊花賞終了後から有馬記念のファン投票の間まで、菊地厩舎陣営の“調教師や騎手が、その年の秋の天皇賞優勝馬(ヒヌマボーク)のことを知らなかったという現実にはあり得ない設定がある。また、騎手・島村のヒヌマボークに騎乗することになるエピソード(勝利数が不足している場合、GIレースの出走条件となる実際のルールを無視している状況)、「馬の鞍傷に塩を塗りこむ」といった現実の競走馬を扱う上では有り得ないかけ離れた表現などが、続編にあたる『蒼き神話マルス』にも共通して見られる。そもそもシルフィードが出生直後に既に抱えていた浅屈腱炎は現実には後天性の病気である。作者はマルス連載直前時に掲載された週刊Gallopのインタビューで「シルフィードを連載してた当時は競馬の事をほとんど知らなかった。無茶苦茶なエピソードもあるけど、競馬漫画ではなくスポ根物の漫画として読んで欲しい」と語っている。
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