連合軍と一式戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 05:32 UTC 版)
交戦相手の連合軍において一式戦は海軍の零戦と誤認される事例が多かった。天蓋・主翼・尾部および胴体の形状が大きく異なるが、全体の外観や性能が類似していることに加え、支那事変(日中戦争)への実戦投入は零戦が早く連合軍はその存在を太平洋戦争開戦前に認識していたこと、1942年夏まで一式戦は各地に出揃っていないことが理由として挙げられる(緒戦たる南方作戦における一式戦の主戦場はマレー、シンガポール攻略戦とインドネシア攻略戦。ビルマ攻略戦は1941年12月25日に臨時に第64戦隊が投入されたのみで本格的な転戦は1942年3月21日から。フィリピン攻略戦に一式戦は未投入)。ビルマ方面のイギリス空軍からは「ゼロ・ファイター」に類似した「ワン・ファイター」ということで「01(ゼロワン)」と、それ以前にフライング・タイガース(AVG)によって「ニューゼロ」と呼ばれたことも一時期あったという。大戦中後期に至っても、またビルマ・ニューギニア・中国方面といった陸軍航空部隊の主戦場であっても零戦との誤認は多く、そのため「零戦の戦果とされているものの一定数は一式戦の戦果」である(#「ブラックドラゴン飛行隊」伝説ほか)。事実、一式戦が大戦初期からその末期まで一貫して互角ないしそれ以上の活躍を見せていたビルマ方面において、一式戦と交戦していたアメリカ・イギリス軍機操縦者などは殆どの場合、相手の日本軍戦闘機を「ゼロ(零戦)」と認識・報告していた。 一式戦の性能面に対して、上述の通り連合軍は低高度・低速域における運動性・加速性の高さを脅威と見なし、対策を徹底した。
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