連合国の無条件降伏方針
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 17:52 UTC 版)
「イタリアの降伏」の記事における「連合国の無条件降伏方針」の解説
1943年1月24日に、イギリスとアメリカ合衆国両国の首脳は、カサブランカ会談後の共同記者会見において「枢軸国に対して一切の和平交渉を拒絶し、無条件降伏を唯一の戦争終結とする」という原則を表明した。この案は軍や国務省を除くアメリカ政府内での検討によるものであり、第一次世界大戦の終結が降伏という形を取らなかったためにドイツ人は敗戦を受け止めず今次の大戦に至ったという考えと、ソビエト連邦に「対独戦を最後まで戦い抜く」というメッセージを伝える目的によるものであった。また、当時日本軍に対して劣勢であったため、対日講和が噂されていた中華民国に対するけん制という意味もあった。 この考えにはフランクリン・ルーズベルト大統領も強く同意していた。当初イギリスのウィンストン・チャーチル首相はイタリアの枢軸国側からの離脱をさそうため、一律での無条件降伏路線には反対であった。しかしイギリスの戦時内閣はイタリアの例外化に否定的であり、結局イタリアも含めた形で発表された。当時アメリカ側はイギリスが対日戦において単独講和する可能性があるという疑念を持っており、当初無条件降伏路線自体に賛成ではなかったイギリスがルーズベルト提案に賛成したのは、その疑念を晴らすためという面が強かった。
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