農民美術運動とは? わかりやすく解説

農民美術運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 05:47 UTC 版)

山本鼎」の記事における「農民美術運動」の解説

第一次世界大戦後疲弊した農家の生活を安定させるため、農閑期有効に生かすことによって農民の生活に生き甲斐誇り持たせるために計画されたのが、農民芸術運動である。1919年大正8年12月神川小学校教室借用して農民美術練習所が開所し、練習所の作品三越展示即場会で出品され好評博した農民美術練習所は翌年は、鼎とともにこの運動携わった金井正の蚕室移り1000円ほどの建築費で小さな青い屋根工房完成させた。 1923年大正12年)には日本農民美術研究所新築され、本格的に講習が行われるようになったまた、農民美術生産組合組織されるなど、その運動着々と成果をあげながら、昭和初期には長野県各地のほかに、東京岐阜京都千葉神奈川埼玉福岡熊本鹿児島などでも作品生産されるようになった。現在も全国各地物産品として民芸品作られているが、これらのかなりの部分がこの農民美術運動に影響を受けたものである。徳川義親北海道八雲町始め全道広まった木彫りの熊は、この農民美術運動とアイヌ工芸とが結びついて生まれた混合文化といえる民藝運動創始者柳宗悦は、農民美術ロシアなど西洋文化模倣しており日本の伝統工芸顧みていないことに批判的であった

※この「農民美術運動」の解説は、「山本鼎」の解説の一部です。
「農民美術運動」を含む「山本鼎」の記事については、「山本鼎」の概要を参照ください。

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