輸送機設計研究協会の設立とは? わかりやすく解説

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輸送機設計研究協会(輸研)の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 02:08 UTC 版)

日本航空機製造」の記事における「輸送機設計研究協会(輸研)の設立」の解説

1957年昭和32年4月通産省航空工業会の臨時役員会により、輸送機基本構想をするための財団法人輸送機設計研究協会(輸研)を東京大学内に設立することが決定5月発足した。 輸研に参加したメーカー新三菱重工業川崎航空機富士重工業(現・SUBARU)、新明和工業日本飛行機昭和飛行機機体メーカー住友金属島津製作所日本電気東京芝浦電気(現・東芝)、三菱電機東京航空計器部品メーカーであった新型航空機の開発大型プロジェクト特定の企業一社独占的に任せることは他社反発を招くことを懸念した為である。 理事長新三菱重工副社長荘田泰蔵選任され専任理事木村秀政日本大学教授航研機設計)、設計陣に堀越二郎新三技術部次長零戦雷電烈風設計)、太田稔富士重工社長室付:隼設計)、菊原静男新明和二式大艇紫電改(及び紫電設計)、土井武夫川崎航空機飛燕五式戦闘機設計)を迎え輸送機設計開始、名称をYS-11とした。 輸研は翌年1958年昭和33年12月11日に、横浜市日本飛行機杉田工場モックアップ実物大模型)を発表した国民理解を求めると言うのが表向き理由だったが、政治家役人予算引き出しやすくするためのデモンストレーションであった。そのため、技術的な検討目的とするものではなかったので、客室艤装力を入れ航法士席や二つ化粧室設け横列5席の構成とし、内装当時の有力デザイナー渡辺力依頼して西陣織座席設置された。この座席当時価格一席50万円上したと言われている。内装など見栄え良いが、細部矛盾だらけという、技術者見れば笑ってしまう代物であったまた、製作予算不足した為、スタッフ隠れてライトスイッチ操作し点滅させていた。

※この「輸送機設計研究協会(輸研)の設立」の解説は、「日本航空機製造」の解説の一部です。
「輸送機設計研究協会(輸研)の設立」を含む「日本航空機製造」の記事については、「日本航空機製造」の概要を参照ください。

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