軍事独裁時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 15:33 UTC 版)
「エルサルバドルの歴史」の記事における「軍事独裁時期」の解説
詳細は「エルサルバドルの歴史 (1931年-1979年)(英語版)」を参照 1931年にマクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネス将軍がクーデターを行ってから1944年に彼が失脚するまで、農村部での抵抗は暴力鎮圧に遭った。アグスティン・ファラブンド・マルティ、イサルコ(英語版)族のフェリシアーノ・アマ(英語版)族長、イサルコの枝族であるフアユア(英語版)の族長フランシスコ・"チコ"・サンチェス(スペイン語版)率いる1932年エルサルバドル農民反乱(英語版)がその最たるものであった。抗議が続いた後、政府による「ラ・マタンサ」(La Matanza、「殺戮」)と呼ばれる報復では原住民と政敵約4万人が殺害されるか、投獄されるか追放された。マルティネス就任から1980年までのエルサルバドル大統領は1962年に大統領を代行したエウセビオ・ロドルフォ・コルドン・セア(英語版)を除いて全員が軍人であり、その間に行われた10回の大統領選挙もほとんど不自由で不公平であった。 1930年代から1970年代まで、エルサルバドルの専制政府は政治弾圧を行い、改革を制限して権力を保持した。国家連合党(英語版)は1960年代初期から1979年まで政権を維持した。そして、軍事独裁時期はカルロス・フンベルト・ロメロ(英語版)大統領が1979年に失脚したことで終結した。 1970年代のエルサルバドルは政情不安が問題になっており、1972年エルサルバドル大統領選挙(英語版)では軍政の反対者が統一候補のキリスト教民主党(英語版)党首ホセ・ナポレオン・ドゥアルテ(英語版)を推したが、大規模な不正により1.3%の僅差で敗北した。その後の抗議とクーデター計画は鎮圧され、ドゥアルテは追放された。これらの事件により民主的な手法による改革の望みは潰え、変革をもたらすには武装暴動しかないと人々に分からせた。
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