車両航送の効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:51 UTC 版)
車両航送開始以前は、北海道の主要産物である鮮塩魚、タマネギ、馬鈴薯等の本州向け輸送、本州から北海道向けに輸送される味噌、醤油、野菜、果物、陶器等の輸送は、積替えが多くなる青函航路経由を嫌い、一般船舶で輸送されたが、大量低頻度輸送で不便であった。しかし、1925年(大正14年)8月1日の車両航送開始後は、天候に左右されるハシケ荷役による積替えがなくなり、青函間の貨物継送時間が40時間から10時間に短縮されたことで、急送を要する鮮魚輸送にも広く使われるところとなり、東京市場での鮮魚価格低下に貢献するなど、道内産鮮魚の市場規模を急拡大させた。また内陸駅から内陸駅まででも、積替えは発着駅だけとなり、簡易な荷造りでほとんど品傷みなく、船舶に比べれば少量かつ高頻度で利用できるようになったことで、上記の農産物や食品雑貨等も鉄道輸送に取り込み、また新規獲得し、まさに流通革命であった。その後も、道内発貨物の平均輸送距離は年を追うごとに伸び、商品販路はさらに拡大して行った。 かつて青函航路が混乱状態に陥った1917年(大正6年)度の貨物輸送量は36万1259トンで、 大戦景気末期の貨物輸送量ピーク時の1920年(大正9年)度には45万5597トンを記録し、その後は景気後退で一時減少したものの1924年(大正13年)度には46万5860トン、年度途中から車両航送を開始した1925年(大正14年)度には49万7006トンと増加に転じていた。車両航送開始翌年度で、年度途中から第一青函丸も就航した1926年(大正15年-昭和元年)度には、依然景気後退時期であったにもかかわらず、上記のような新規貨物需要の掘り起こしもあり、貨物輸送量は前年比32%増の65万4952トンを記録し、車両航送の効果を見せ付ける結果となった。 一方旅客輸送は、同じく混乱状態に陥った1917年(大正6年)度の旅客輸送人員は49万4827名で、大戦景気中の旅客輸送人員ピーク時の1919年(大正8年)度は70万5055名で、以後同様に減少していたが、翔鳳丸型が前年度途中から通常の客船として就航し、年度途中から車両航送を開始した1925年(大正14年)度には前年比7%増の75万2864名を数え、上記記録を更新し“大型客船”効果を示したが、1926年(大正15年-昭和元年)度の旅客輸送人員は76万6606名と微増に留まった。
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