車両の調達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:25 UTC 版)
『鉄道軌道経営資料』第81号に掲載された堀内良平への聞き取りには「営業準備に取掛かりまして、最も困難を感じた事は車の買入であります。当時は世界大戦の酣な時分でありましたので、米国でも軍用以外の注文は一切引受けぬということになっておりました。 ……然し丁度幸なことには、横浜に見越し輸入の車で、レパブリック、及びクライスデルの二種、二百台程の手持ちを発見しましたので、これを買取りまして、兎にも角にも当面の急に応ずることになったのであります。」と記述がある。 また、『自動車三十年史』には「何しろ歐洲大戰當時で車輛がなく、外務、陸軍兩省に交渉したが民間には廻せぬといふことであり、困り抜いた末、恰度梁瀬自動車がウーズレーを百數十臺持つてゐたのでこれを購入したのである」と記述されている。 当時、梁瀬自動車に勤務していた田中常三郎は「梁瀬自動車が(東京市街自動車に)納入した車は、アメリカのクライスデル・トラックのシャシにボデーを架装したものです。瓦斯電気の販売所は大手町にあって、インターナショナルを扱っていました。これとクライスデルが盛んに売り込み競争をしました。(中略)結局インターナショナルとクライスデルが25台ずつになりました」と回顧している。 一方、東京石川島造船所(現:IHI)はイギリスのウーズレーから東洋での製造と販売権を取得した。当時、東京石川島造船所の技師であった石井信太郎によると「(大震災の直前に)イギリスのウーズレー会社から2台のトラックを取り寄せ、1台を分解して(中略)、他の1台はボデーを架装して、当時上野と品川間を走っていた青バス(注:東京市街自動車のこと)に提供して、車の使用具合と損傷の度合を調べました」と回顧している。
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