路線と運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/01 03:03 UTC 版)
ルートは東海道線から外れた藤枝の町の中心と官鉄焼津駅を直結することを目的としたもので、これは元来東海道線建設時に瀬戸川から焼津まで砂利採取に用いられたトロッコの軌道跡地を流用したものでもある。 焼津停車場より藤枝町の舊大手口へ通ずる新道へ、とあり、当時通ったばかりの県道、現在の県道30号(藤枝街道と呼ばれていた)の片側に約4.5kmの軌道が敷設されていた。 藤枝の大手の起点は、現・県道215号となっている旧東海道との交差点-駿遠線大手駅付近-県道224号分岐、のあたりと思われる(森 (1997) では「明治に入って新道(のちの国道1号)が」とあるが、これはミスで、明治の関連史料の「新道」は県道30号を指している。同付近の旧・国道1号は戦後の新設で、この新設工事を拡幅工事とみたとみられる)。 現在は東海道新幹線以北の道筋は変わっていないと思われるが、焼津駅近くは変わっており、県道30号は駅北2丁目交差点で直角に曲がっている。しかし県道30号が東海道本線と交差する場所は現在は立体交差だが変わっておらず、その付近に焼津の西町の終点があった。当時は踏切付近から斜めに道が伸びていた。乗客はそこから踏切を渡って焼津駅に行ったと思われる(焼津駅に北口ができたのは戦後である)。 「瀬戸川」が川のどちら側であったかは不明である。 時刻表記載の停留所は焼津、瀬戸川、藤枝の合計3つで、全線の所要時間は勾配の関係からか藤枝→焼津が25分、焼津→藤枝は30分と異なっていた。旅客は毎日7往復+臨時増発、貨物は毎日数回、そして開業時の旅客運賃は各区2銭、貨物運賃は茶一櫃が2銭であった。
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