超神田寿司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 14:30 UTC 版)
擬宝珠家が経営している寿司屋。所在地は東京都千代田区外神田2丁目。社員は30人。単行本119巻に登場する出納帳の最古のものから少なくとも享保2年(1717年)には開業していることが明らかとなっている。夏春都が嫁いできた大正時代には「ネタは当然だが、シャリもうまい超神田」と言われ、現代でも薪で米を炊く伝統を守っている。店の敷地には擬宝珠家の住居のほかに若手調理人の共同部屋があり、住み込みで働いている。また勘吉も正社員になって以降は共同部屋に住んでいる。 現在の店主は擬宝珠夜婁紫喰だが、実質的経営権は夜婁紫喰の母親で大女将である夏春都が握っている。なお、調理場については擬宝珠家の一員ではない板長がおり、勘吉を含む数人の調理人を指揮している。夏春都は保守的でありながらも革新的な考えを持っていて、チェーン店システムや水上オートバイによる配達などを提案したり、勘吉の奇抜なアイデアを承認、投資することもよくある。また、従業員を大切にしており、正月にはお年玉と称して、ボーナスを支給するなど、店全体で海外旅行に行ったこともある。 チェーン店の2号店の初代店長は勘吉であり、初日の売り上げが200万である。仕入れも本店とは異なり、最初は築地市場で仕入れていた。漁師の飛鷹二徹に直接交渉したり、アメリカ陸軍所属の爆竜大佐などによる直送でやっていたが、一時期は途絶えることもあった。なお、そのときの2号店の店員は勘吉と本田速人のみである。 ジョディーが1か月板前修業をし、プロの板前並みの技術を身に付けたことでカール・ヴィンソンに支店を作っている。 支店に秋葉原店があったが、勘吉の失敗により潰れてしまった。 店の味については四歳の擬宝珠檸檬が責任を持っており、その知識は板長以上である。ゆえに、板長は勘吉から批判されている。 備考 店の名前は作者が「一目見て、寿司屋と分かるものにしたい」という意向で当初「神田寿司」とされたが、実在する店があったため、絶対実在しない「超」をつけたという。
※この「超神田寿司」の解説は、「擬宝珠家」の解説の一部です。
「超神田寿司」を含む「擬宝珠家」の記事については、「擬宝珠家」の概要を参照ください。
- 超神田寿司のページへのリンク