赤コーナー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 05:10 UTC 版)
「荒川仁人 対 オマール・フィゲロア戦」の記事における「赤コーナー」の解説
荒川仁人は東京都武蔵野市生まれ。アマチュア戦績は4勝 (3RSC) 1敗。八王子中屋ボクシングジムの所属選手として、2004年2月にプロデビュー。翌年、全日本ライト級新人王を獲得。2010年4月に日本同級王者、2011年10月にOPBF東洋太平洋同級王者となった。対戦前のプロ戦績は24勝 (16KO) 2敗1分。本来は激闘型ではなく、ジャブを突き、メキシコ合宿などを通じて磨いたフェイント技術を駆使しながら左ストレート、あるいはフック、アッパーカットのタイミングを探る。しかしスロースターター気味であるため、序盤の戦い方が鍵となることを荒川は自覚していた。2012年2月に対戦した三垣龍次は、その試合の前に、「荒川選手はサウスポーのテクニシャンですけど、タフファイトは彼の本性の一つだと思う」と分析している。同年8月の嶋田雄大戦では2つのラウンドで100以上の手数を出していたことが、コンピュボックス社による打撃分析データとして報告されている。日本国外での試合は同年11月のダニエル・エストラーダ戦以来で、これが2度目であった。 試合前、WOWOWによるインタビューの中で意気込みを聞かれた荒川は、次のように答えている。 勝負事ですから絶対はないですけど、絶対勝つつもりで、どんな苦しい状況でも諦めない、第三者に止められてしまうとかいうことは仕方ないにしても、自分自身が諦めることは終わるその時までないように、全力でぶつかっていきたいと思います。 — 荒川仁人、【WOWOW】 "世界初挑戦!" 荒川仁人インタビュー ネバダ州ラスベガスでの6日間の調整を経て、7月24日にサンアントニオに到着。八王子中屋ジムの同僚でOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王者のチャーリー太田がスパーリングパートナーとして同行した。愛称は「ベビーフェイス・スナイパー」(童顔の狙撃手)。31歳。
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