販売低迷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 02:21 UTC 版)
「ロッキード L-188」の記事における「販売低迷」の解説
この欠陥はエンジンの支持方法を変更し、最大巡航速度に大幅な制限を加える(324→275 kt)事で一応の解決を見たが、飛行停止処分に伴う悪評もセールスに打撃を与え、しかも前世代のレシプロ機以下に制限された劣速では、コンベア880やボーイング720など同クラスに登場した中距離用ジェット機や、これらより小型のシュド・カラベルには全く太刀打ちできなかった。 さらに、より小型だが安価なターボプロップ機であるビッカース バイカウントや、東側諸国や発展途上国においてはイリューシンIl-18にも顧客を奪われることになった。 カンタス航空やキャセイパシフィック航空では洋上飛行を伴う中長距離国際線でも運航されたが、間もなくコンベア880やボーイング707に取って代わられるなど、航空会社でも使い勝手に持て余すことも多く、コンステレーションで一世を風靡した名門ロッキードの看板と販売力をもってしても、144機の受注(総生産機数は167機)に留まり、生産開始からわずか4年後の1961年に生産が終了した。 一方 低速と大きな機内容積や積載量を要求される対潜哨戒機としては格好の機体とされ、「P-3 オライオン」としてアメリカ海軍やその同盟国の軍隊に採用され大ヒットとなった。日本の海上自衛隊にも計101機が導入されている。 このエレクトラの大失敗によって、しばらく旅客機の製造から遠ざかることになったロッキードは、その後1970年代に先進技術を投入して開発した三発ワイドボディ旅客機「L-1011 トライスター」で起死回生を図るが、開発の遅延(特に搭載するロールス・ロイス RB211エンジンの開発遅延)に加え、ボーイングやマクドネル・ダグラスといったライバル各社の販売網に太刀打ちできなかったこと、航続距離が比較的短かったことや発展性の乏しさなどといった様々な理由によってトライスターの販売にも失敗し、最終的に1981年、旅客機製造からの撤退を余儀なくされた。
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