譚の滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 14:00 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動譚の滅亡 | |
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戦争:春秋戦国時代 | |
年月日:紀元前684年 | |
場所:譚 | |
結果:譚の滅亡 | |
交戦勢力 | |
斉 | 譚 |
指導者・指揮官 | |
桓公 | 不詳 |
譚の滅亡(たんのめつぼう、繁体字:齊滅譚之戰、簡体字:齐灭谭之战)は、紀元前684年に発生した、斉が譚を滅ぼした戦い。
斉の公子小白が亡命したときに、譚を通過したが譚の国君は厚く接待しなかった。後に小白が即位すると(桓公)、各国の諸侯は桓公に祝賀の使者を送ったが、譚は送らなかった。結果、桓公二年の冬(紀元前684年)、斉は出兵し譚を滅ぼし、譚の国君は同盟国の莒に亡命した[1]。
脚注
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