調理法の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 04:03 UTC 版)
日本では奈良時代に中国から伝わった唐菓子や精進料理などによりこの調理法が知られていたが、油の原料が胡麻で生産量が少なく高価であったことや、その食用油の商取引が座に仕切られ、関所による通行税の課税により流通コストも高かったため、広く普及することはなかった。戦国時代末期に織田信長が推し進めた楽市・楽座により流通の障壁が取り除かれ、江戸時代初期に、植物油の主流が高価なごま油から量産の可能な菜種油に変わり生産が増加したことや、調理も天ぷらの普及と天ぷらに合った調味料の醤油の開発と流通に伴い、広く庶民にも食されるようになった。 古代ローマのレシピ本である『アピシウス』の中で、"Pullum Frontonianum" という鶏料理の下準備として揚げる技法が初めて紹介される。日本で戦国時代にポルトガルなどヨーロッパから南蛮料理として伝わった天ぷらの元となった揚げ物調理法は存在していたが、英語では「揚げる(英: deep-fry)」という単語は1930年代におけるまで記述が存在しなかった。
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