誤解と本来の意図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 06:00 UTC 版)
この「津波てんでんこ」の標語は、「てんでんこ」の語呂よい響きが手伝って、他人にかまわず逃げろという、ややショッキングなメッセージ性が強調され、利己主義だと誤解を受けやすい。 しかし、元々この言葉を防災の標語として提唱した山下文男は2008年の著作で、この言葉に「自分の命は自分で守る」ことだけでなく、「自分たちの地域は自分たちで守る」という主張も込めていると述べており、緊急時に災害弱者(子ども・老人)を手助けする方法などは、地域であらかじめの話し合って決めておくよう提案している。つまり、標語の意図は「他人を置き去りにしてでも逃げよう」ということではなく、あらかじめ互いの行動をきちんと話し合っておくことで、離れ離れになった家族を探したり、とっさの判断に迷ったりして逃げ遅れるのを防ぐのが第一である。 山下がこの言葉の理解を広めるために、津波被害の象徴的な例として挙げているものには、北海道南西沖地震(1993年)の奥尻島での津波における近藤家母子の悲劇がある。この事例では手をつないで避難していた母子3名が、途中で祖母の家に立ち寄ったため、わずかな時間差で命を落とした。その痛ましい教訓として山下が強調するのは、祖母がすでに避難していたのにも関わらず、それを知らずに尊い命を落とした点であり、母がわが子を連れ立って逃げた点ではない。「津波てんでんこ」は、災害時の行動スキームもあらかじめ考え、互いに共有しておくことを唱えた防災思想であり、「ばらばらに自分だけでも逃げる」という行為は、その意志を共有することで互いを探して共倒れすることを防ぐための約束事である。これは、自分が助かれば他人はどうなっても良いとする利己主義とはまったく異なる。
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