誕生の時代背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/13 09:01 UTC 版)
45/47体制の崩壊により、日本航空が独占していた日本の航空会社による国際線事業に、全日本空輸が成田-ワシントン線などで初めて進出した1986年、後発航空会社のハンディを克服し収益率の高いビジネス客を獲得するため、他社のボーイング747型機では標準的であった横7列(2-3-2)の配列に対して、横6列(2-2-2)の「スーパーエグゼクティブクラス」を導入した。その後、横7列(2-3-2)の配列に戻すが、国際的にさらに競争力を持つためにサービス強化を図ることになった。 そこで、1991年にニューヨーク線へ進出した際には、「スーパーエグゼクティブクラス」を「CLUB ANA」へと進化させ、シートの充実だけでなく、日本の航空会社で初めて全席にTVモニター・TVゲームを導入するなど、ハード面に力を入れた。乗客が自由にスナックを食べられるようなサービスや、炊きたてのご飯を食べられるなど、今では常識となったサービスもこの時期に初めて導入された。 これらのハード面のサービスの進化はとどまらず、1994年には「CLUB ANA」のシートピッチを世界の航空会社に先駆けて50インチ(標準より25%拡大)にした。また、1999年シカゴ線を開設した際にはボーイング747-400にバーカウンターやビジネスセンターを設け乗客が自由にくつろげる空間や、ビジネスサポート空間を設けた。それと同時に、世界初となるAVODシステムを導入し「ANA's Chicago Style」と称した(なお、その後一旦同路線は運休となる)。 2000年になると、シカゴ線での「ANA's Chicago Style」のサービスをそのほかの北米線へと拡大し「スーパースタイル」のサービスを開始した。2002年には、日本の航空会社初となるライフラットシートを導入した「ニュースタイル」のサービスも開始した。
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