設計および測量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 13:38 UTC 版)
代用水の建設は、文字通り見沼溜井の代替となる水路の建設であったが、同時に見沼以外の用水路流域周辺の沼地を干拓する壮大な計画であった。井沢弥惣兵衛は周囲を調査し、利根川や荒川の治水も考慮して埼玉郡(さきたまぐん)から足立郡を抜ける20里(約80キロメートル)の幹水路に加え、高沼用水路などの分流路も多数開削することで、流域周囲の沼地を干拓した後の水源とすることを計画した。 用水は、利根川から取水されることとなったが、その場所は現在の行田市にあった下中条村の地となった。この付近の利根川の流れは水深が年間を通して安定していた。また、享保以前100年間の洪水時でも堤の決壊したことがないなど、好条件がそろった場所であることが理由となった。現在の代用水の取水口も江戸時代とほぼ同地点の利根大堰であり、当時の土木水準の高さをここからも窺い知ることが出来る。 代用水建設のための測量は、利根川からの上流側と見沼溜井から流れ出ていた芝川の下流側からの二手に分かれて進められた。測量は水盛りとよばれた水準測量により行われ、30間(約55メートル)につき3寸(約9センチメートル)の傾斜、すなわち約1/611の勾配が付くように正確に進められた。その精度は当時としては極めて高く、上流側と下流側からの測量が落ち合った地点では、水路底高は2寸(約6センチメートル)の誤差しかなかったと伝わっている。 また水路となる場所は、既存の水田を避けて出来るだけ未開の場所を選択し、減水を防ぐため比較的地盤の固い場所を選んで決められた。
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