言語統制
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1933年1月30日にナチ党が政権を獲得すると、既に同年3月には「帝国国民啓蒙宣伝省」(Reichsministerium für Volksaufklärung und Propaganda, RMVP) が新設され、ドイツ全土で新聞、文芸、造形芸術、映画、演劇、音楽の内容の統制の任に当たっていた。その手段として1933年9月に帝国文化院が設立され、ほとんど全ての文化の分野とメディアを統制した。帝国新聞院(ドイツ語版)はその下部組織であった。ナチ党所有のメディア以外も、こうしてナチのイデオロギーを宣伝するための国家装置として利用可能となった。ここでは同省の検閲や助成が、ナチ党の意向に沿った形でのスポーツ、文化、劇映画の人物評の取り扱いに及ぶようになった。帝国映画院(ドイツ語版)は、その人事政策を個々の映画制作にまで貫徹した。 国家的な言語検閲、言語操作のために、ナチ体制自らが「言語規制(ドイツ語版)」という概念を作り出した。宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの内々の指令が与えられ、新聞には、この種の検閲措置によってあらかじめ取り扱うテーマだけではなく、言語の使い方まで決められていた。とりわけユダヤ人迫害、ユダヤ人絶滅については、国家的措置の実際の目的を、ドイツの、また国外の世論から隠蔽するための用語が指令された。こうしたテロ行為、殺人行為に対しては、意識的に無害で、当たり障りのない、または肯定的な表現が使用されることが多々あった。こうすることで、この種の表現を平常の分野で登場させ、被害者による組織的抵抗を妨害することが意図されていた。
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