解説と逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 13:38 UTC 版)
題名に凝る河竹新七らしく、『小袖曾我薊色縫』の「小袖」は追放される清心に小袖を渡す場面を、「薊」は「鬼薊清吉」の薊の字を、「色」は十六夜の働く「色街」の色の字を、それぞれ利かせている。その「鬼薊」は、主人公のモデルとなった鬼坊主清吉が獄門になる際に詠んだ辞世の句 武蔵野に 名もはびこりし 鬼薊(おにあざみ) 今日の暑さに乃(やが)て萎(しお)るる に由来する。 初演は大当たりだったが、公儀に江戸城御金蔵破りの一件を仕組んだくだりが睨まれたため、上演中にいくつもの場面が飛ばされるようになり、しまいには筋がわからなくなるほどだった。それでも35日目にはとうとう奉行所から上演禁止の沙汰が下だった。新七は、物語の輪郭をかたちどる藤岡藤十郎の御金蔵破り事件に執着し、黙阿弥と名を改めたた明治18年 (1886) にはこの藤岡を主人公とした実録風の『四千両小判梅葉』を書いている。 『稲瀬川』は、風采の上がらない小團次と美しい女形の粂三郎の色模様を、清元の『梅柳中宵月』を使って江戸情緒たっぷりに表されている。粂三郎の妖艶さは「あれなら迷わぬ方がどうかしている。ナニ寺を開いたってかまやしねえ」と小團次が溜息混じりに言うほどのものだったという。 新七はまだ若手の粂三郎に、第一幕は豊かな黒髪、第二幕は坊主頭、第三・四幕は短めと、それぞれ異なる髪型をこなさせることで、その魅力を引きたてることに成功している。ただし二幕目でいきなり坊主では困ると粂三郎の母が文句を入れたので、はじめ頭巾を被り、幕切れで「変わりし頭を旦那様に」と西心が頭巾をとり、おさよの坊主頭が出て、ここで「あれ、お恥ずかしゅうございます」と、おさよが恥らう演出に替えたところ、これが好評を得たという。 清心と十六夜はそれぞれの時代の最も人気がある立役と立女形がつとめるのが慣行となった。戦前は十五代目市村羽左衛門と六代目尾上梅幸。戦後は十一代目市川團十郎と七代目尾上梅幸。今日では当代片岡仁左衛門と当代坂東玉三郎などが代表的な取り合わせとなっている。 前半の眼目は殺人を犯した清心が入水を図ろうとした途端に月が出て、「しかし待てよ。・・・」の台詞の後悪人に豹変する場面で、それまでの立役の二枚目から小悪党へと役の性根が大きく変わる様を、十五代目羽左衛門は「何だか、玄冶店の与三郎が蝙蝠安になったようだ。」と実にうまい表現をしていた。
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