見送りて目薬をさす帰雁かな
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
春 |
出 典 |
七十句 |
前 書 |
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評 言 |
丸谷才一は作家である。博覧強記、ユーモアあふれる名エッセイストであり、翻訳者でもある。改めて紹介するのも気が引けるのだが、古今東西の詩歌にも詳しい。 春の空を見上げると、いましも群れをなして雁が北へ帰るところである。空のかなたへ、雲のかなたへ、一点の粒となり、完全に見えなくなるまで見送って、それからおもむろに目薬を差す。乾いた眼を潤すために、いや少し感傷的になった眼のうるみを隠すために。あわれ深い帰雁という詩語に対して、目薬という語のなんとないおかしみと日常性。中七で切って、見送るのは人間と読むのも面白い。その場合、「見送りて」は両方にかかってくるだろう。空に帰雁、別れ難い人に別れを告げて、さて、目薬を。 掲句は、古稀の祝いにと齢の数だけの句をまとめた『七十句』(1995年)に収められている。あとがきに「所詮は小説家の余技」と述べてはいるものの、その謙遜の裏に、ちらっと自信のほどもみえる。実際、その悠揚迫らざる詠みぶりは、韻律に乗って心地よい。句集からもう少し。 薄墨となりてとまりぬ扇風機 夏 枝豆が白河越えて秋深し 秋 色つぽく眠るあのやま名は月山 冬 仕事はじめまづやや深く爪切りて 新年 丸谷は中学生のころ、現代俳句に熱中したという。特にいいと思った俳人として加藤楸邨と石田波郷の二人をあげている。高等学校では、先輩たちに連れられて句会にも出てみた。「いまにして思えば現代俳句と古俳諧のあひだを右往左往して困つてゐたらしい」と感慨を洩らしている(以上、あとがきより)。現代俳句と古俳諧。後に、連句や歌仙を手がけることになる丸谷らしい言い方だ。こんなことを思い浮かべて先の俳句を鑑賞すると、また別な気分も生まれてきそうである。文人俳句などとあなどってはいけない。 |
評 者 |
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備 考 |
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