西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 04:31 UTC 版)
西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件(にしなりく かくせいざいちゅうどくしゃ しちにんさっしょうじけん)とは、1982年(昭和57年)2月7日に大阪府大阪市西成区山王三丁目[注 1]の文化住宅(アパート)で発生した[2]殺人・同未遂事件である[4]。
注釈
- ^ a b c 現場は今池停留場(阪堺電気軌道阪堺線)・今池町駅(南海天王寺支線)から東約200 m[1]。「飛田新地」の北側[1](歓楽街の裏通り)[2]で、今池本通・新開筋・飛田本通の3商店街に囲まれた地域[1]。
- ^ Hの父親は松山地方裁判所の職員を、兄も松山刑務所の看守をそれぞれ務めていた[7]。
- ^ 前妻とは1966年(昭和41年)ごろから一緒になったが、1969年(昭和44年)ごろに知り合ったAと肉体関係を結び、翌1970年(昭和45年)にAとの間に長男Bが誕生したため、前妻とは離婚した[8]。
- ^ 1975年の事件当時、妻Aは浅草の歓楽街で働いて生活を支えていた[7]。
- ^ 当時、Hは埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)在住[1]。
- ^ 大阪地裁 (1984) は当時の動機について「『妻Aが売人とグルになって自分を苦しめようとしている』と邪推した」と認定している[8]。
- ^ 刑期満了は同年9月17日[9]。
- ^ Hが当時駐車していた覚醒剤の量について、『読売新聞』 (1982) は「毎日のように0.05グラム (g) を西成区・阿倍野区の暴力団から購入していた」[1]、『朝日新聞』 (1982) は「毎日0.02 gを注射していた」と報道している[2]。
- ^ Hは殺人未遂などの事件を起こす前、暴力団員である甲からも覚醒剤を購入していたが、警察でそのことを話したため、服役中に刑務所内で甲と出会った際にそのことを弁別した[8]。この時、甲はHに「別にお前を恨んでいない」と言っていたが、Hはやはりこのことを気にして後ろめたさが残り、甲への被害妄想を抱く遠因になった[8]。
- ^ 覚醒剤を常用していることを広言したり、毎晩のように大声を出したりするなど[11]。
- ^ しかし事件当時の西成署長・木村舎人は「Hについて市民から通報があった事実は把握していない。当署は特に覚醒剤の捜査情報収集に力を入れており、覚醒剤事件関連の通報を握り潰したことは考えられない。昨年(1981年)までグリーンハウスに住んでいた別の男について『覚醒剤常習者ではないか?』という指摘があったため張り込みをしたが、当時はHの名前は上がっていなかった」と述べている[11]。
- ^ 被害者Aは大和中央病院(大阪市西成区花園北二丁目11番15号)へ搬送されたが、10時40分ごろまでに失血死した(左上腕および左大腿部後上部の各刺創に伴う動脈切破による)[4]。
- ^ Wは隣室(H宅)の異変に気付いて外に出ようとしたところ、包丁・金槌を持ったHと鉢合わせして殺害された[12]。
- ^ Wは富永脳神経外科病院(大阪市浪速区湊町一丁目4番48号)へ搬送されたが、10時10分ごろまでの間にグリーンハウス東側階段下ないし搬送先の病院にて失血死した[4]。
- ^ Xは足が不自由で、同日朝はアパートの管理人の部屋に呼ばれ、管理人の家族と食事をしていた[12]。その際に物音に気付いて外に出たが、Hと遭遇して刺殺された[12]。
- ^ Xは大阪警察病院(大阪市天王寺区北山町10番31号)へ搬送されたが、左上腕を刺されたことに加え、左胸を刺されたことで包丁が心臓にまで達しており、10時23分ごろまでに心嚢血液タンポナーデにより死亡した[4]。
- ^ 男性Zは11時3分ごろ、大阪府立病院(大阪市住吉区万代東四丁目25番地)で死亡[4]。
- ^ Zは左耳介・左後頭部・左上腕・右大腿・左下腿・右手指を切りつけられたほか、左大腿打撲、右前頭部挫創、左前腕刺創、頭部外傷(第I型)の傷害を負った[4]。
- ^ ただし、被告人Hは公判・精神鑑定で「妻とテープ云々のやりとりをした後、何が何だかわからなくなって犯行を続け、Yらに『人殺し』と言われたことでハッと我に帰った」と述べ、この間は意識障害があったかのように主張していたが、大阪地裁 (1984) は「単なる弁解に過ぎないと考えられる」と退けた[8]。
- ^ 刑法第39条:「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」
- ^ 刑法第68条:「法律上刑を減軽すべき一個又は二個以上の事由があるときは、次の例による。 1.死刑を減軽するときは、無期の懲役若しくは禁錮又は十年以上の懲役若しくは禁錮とする。 2.無期の懲役又は禁錮を減軽するときは、七年以上の有期の懲役又は禁錮とする。」
- ^ 刑法第45条前段:「確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。」
- ^ 刑法第46条第2項:「併合罪のうちの一個の罪について無期の懲役又は禁錮に処するときも、他の刑を科さない。ただし、罰金、科料及び没収は、この限りでない。」
- ^ 1975年 - 1985年までには全国検挙人数が69,380人に達し、うち犯罪者数は49,445人(71%)に登っていた[15]。
- ^ ピークは1984年の24,022人で、1981年 - 1988年まで8年連続で検挙者数は20,000人以上を記録していた[16]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『読売新聞』1982年2月8日東京朝刊一面1頁「大阪・西成 覚せい剤男、四人刺殺 妻子・隣人ら襲う 3人負傷 7年前にも妻刺す」(読売新聞東京本社)
- ^ a b c d e f g h 『朝日新聞』1982年2月8日東京朝刊第13版第一総合面1面1頁「大阪西成 覚せい剤男が四人刺殺 妻子や隣人 次々襲う 三人けが 50年にも幻覚犯行」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b c d e 大阪地裁 1984, 法令の適用.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 大阪地裁 1984, 罪となるべき事実.
- ^ a b c d 『朝日新聞』1984年4月20日東京夕刊第4版第二社会面14頁「七人殺傷の覚せい剤男 心神耗弱認め無期 大阪地裁」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b 大阪地裁 1984, D1-Law.com.
- ^ a b c d e f g h i j k 『読売新聞』1982年2月8日東京朝刊第14版第一社会面23頁「隣に、幻覚殺人魔が!出所4年また常用 奇行通報、警察見のがす 中学時代から補導歴」(読売新聞東京本社)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 大阪地裁 1984, 被告人の責任能力について.
- ^ a b 大阪地裁 1984, 累犯前科.
- ^ 『毎日新聞』1982年2月8日東京朝刊第一社会面19頁「覚せい剤男 7人殺傷 妻子虐待のH 連日、覚せい剤注射」(毎日新聞東京本社)
- ^ a b c d e 『読売新聞』1982年2月8日東京朝刊第14版第一社会面23頁「隣に、幻覚殺人魔が!出所4年また常用 奇行通報、警察見のがす 東京、埼玉など転々とした末」(読売新聞東京本社)
- ^ a b c d e f g 『読売新聞』1982年2月8日東京朝刊第14版第一社会面23頁「隣に、幻覚殺人魔が!出所4年また常用 奇行通報、警察見のがす 日曜の朝、悪夢の5分間 『お前も刺したろか』 いきなり包丁、倒れる主婦 決死の追跡力尽き」(読売新聞東京本社)
- ^ a b c d e f g 『朝日新聞』1982年2月8日東京朝刊第13版第一社会面23頁「大阪の七人殺傷 幻覚男、見境なく包丁 子をかばい逃げ惑う母 日曜の朝、一瞬血の海に」(朝日新聞東京本社)
- ^ 大阪地裁 1984, 事件名.
- ^ a b 森田 1992, pp. 52–54.
- ^ 森田 1992, p. 53.
- ^ a b c 『朝日新聞』1982年2月8日東京朝刊第13版第二社会面22頁「『白い粉』恐怖再び 汚染、広がる一方 少年の中毒急増 凶悪犯罪も目立つ」(朝日新聞東京本社)
- ^ a b 『読売新聞』1982年2月8日東京朝刊三面3頁「大阪の覚せい剤男殺人 『保安処分』議論また一石 刑法改正 国民の関心が左右」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』1982年2月8日東京朝刊第13版第二社会面22頁「『白い粉』恐怖再び 汚染、広がる一方 保安処分論議再燃か」(朝日新聞東京本社)
- 1 西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件とは
- 2 西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件の概要
- 3 事件前の経緯
- 4 事件当日
- 5 刑事裁判
- 6 影響
- 西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件のページへのリンク